【鉄道自分史】#6「中学時代からの鉄道趣味の中断と再開」
中学1年になった1972年4月から始めた鉄道趣味ですが、中3、高3は中断していました。高校の最後に中学時代からの鉄友と小浜線へ行った後も浪人中は中断していました。中断中もたまには撮影に行っていました。記録では1979年1月の共通一次試験の後にさっそく撮影に行っています。ちなみに、浪人したので共通一次第1期生になりました。
そして、大学はその鉄友と同じ大阪教育大学に決まりました。ここで、趣味が復活すると思いきや私も鉄友もすっかり鉄道への興味が薄れていました。学科が違ったのでたまに顔を見ても鉄道の話題にはなりませんでした。その後、鉄友は大阪で教員に私は1年間教員以外のことをしていました。そこで知り合った人の中に鉄道好きがいて、その彼に誘われて行ったのが1984年1月廃止寸前の加古川の別府鉄道でした。1980年代半ばまで写真のようなマッチ箱と呼ばれた鉄道初期のような客車が走っていたことは驚きでした。ここに行くまでも、4年ほどのブランクがありましたが、その後私は奈良県の教員となりまたもう一つの趣味であるアマチュア無線に没頭し鉄道趣味の中断は1996年まで続きました。結局15年のブランクがあり、多くの鉄道の変化を見逃しましたが仕方ありません。趣味が復活できたのは息子のトーマス好きと、やはり中学時代の鉄友のおかげです。復活後も彼とは何度も撮影に行くようになりました。
最近の鉄道は観光用以外は面白みに欠けるといわれていますが、昨年廃止になった近鉄のスナックカーといわれる平凡なスタイルの車両もなくなってみると味わいのあるものでした。今後は中断することなく駅や街並みの中の鉄道を、車両にこだわらず楽しんでいきたいと思っています。