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【鉄道自分史】#7「出鼻をくじかれた、憧れの海外留学」

 写真は2008年の8月、48歳の時に訪れたオーストラリアのメルボルン郊外を走る観光鉄道「パッフィンビリー」です。左の男性は、私の英語講師だったイアンのお父さんでこの日案内してもらいました。海外留学といってもたった二週間でしたが、いろいろな出来事があり忘れられないものになりました。
 実は出足から大きなトラブルがあり目的地のメルボルンへ行くはずが航空会社の発券ミスで着いたところはシドニーでした。私は中学時代から英語は好きでしたが、会話はまだまだでしたのでここからメルボルンへ行くまでが大変でした。まず、発券ミスをした会社の窓口へ行ったものの、説明も難しく係員は「とにかく航空券を買ってメルボルンへ行ってくれ。問題の解決は日本へ帰ってから交渉してくれ。」という感じでした。いったん買ってそうしようかなとも思いましたが、帰ってからの交渉やお金が返ってこなかったらと思うとあきらめきれず、空港内をしばらく歩いているとボランティア案内のカウンターがあり女性が対応してくれました。
 日本語は通じませんでしたが何とか私の説明で、航空会社の発券ミスでここに来てしまったことと、メルボルンへは迎えの人も来ているはずなので予定の時刻には行けないことを連絡する必要があることが伝わりました。すると、まずは現地の入校予定の英語学校に連絡を取ってくれて、迎えのスタッフや受け入れ先の家にも事情が伝わったようで一安心でした。
 次はメルボルンへどうやって行くかですが、こちらも一緒に先ほどの航空会社の窓口へ一緒に行ってくれて元々のEチケットと実際に発券されて乗ってきたチケットを見せたりしてくれたおかげで事情が分かったようで、シドニーからキャンベラ経由のメルボルン行きのチケットを無料で発券してくれました。結局メルボルンには朝につくはずが、夜の九時ごろになってしまいましたが日曜日の間につくことができ、翌日の開講に間に合うことができました。そのボランティアの女性には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。二週間後の帰りの便がたまたまシドニー経由でしたのでお礼が言いたくてボランティア案内のカウンターへ行ってみたのですが残念ながらその日はおれらず会えませんでしたので、伝言をお願いし帰路につきました。
 また、私のために日曜日のほぼ一日かけて郊外の鉄道やほかの場所も案内していただき、帰りはホームステイ先まで送ってくれた英語講師イアンのお父さんにも感謝しています。数年後、孫の顔を見にこちらへ来られた時は大阪を案内して恩返しができたかなと思っています。
 2週間の短い間でしたがこのお二人以外にも英語学校のスタッフの方々、一緒に勉強したアジア、南米各国の生徒さんたちも二十歳ほど年齢の違う私を友達同然に話をしてくれてうれしかったです。しばらく連絡の取れていた人もいましたが今では消息は分かりません。でも、ほとんどが途上国の人たちで今では英語圏で活躍していることを願っています。海外では、何かと不安なものですがこのメルボルンで体験の恩返しのつもりで、日本へ来ている外国人には親切にしたいと思い大阪などで見かけたら道案内など進んで実践しています。今はコロナ渦で、できませんがアフターコロナになれば再び何かできることがないかと思っています。

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