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自分のプライドを認めた時、人は少し楽になれる。
始めまして、隠士です。
よく人間観察をしている者です。
世の中の人は殆どの場合何らかのプライドを持って生きている物ですが、
皆自分はプライドなんて無い!と思いたい物です。
しかし、その場合本来あるはずの自分のプライドと現実とのギャップで疲れてしまう場合が、多々見受けられます。
その理由は主に
自分自身を理解しようと客観的に考えた時に、
自分自身のあるべき理想の姿と現実の姿が乖離していることが多々あるからでしょう。
(そもそも、理想の姿と現実の姿が同じような人はこのページを開かないと思われます…)
そしてよくその理想の姿と現実の姿の乖離を減らすために行う行為が
一般的に努力、勉強などと言われるものですが。
また、ここで次の問題が生まれます。
必ずしも努力の量が結果に繋がるとは限らないということです。
ある分野において努力の量が少しでも結果が出る人もいれば
努力の量が多くても結果が出ない人もいます。
これは所謂、才能の差というものです。
一般的な教育ではこの才能の差と言うのは考慮して教育されてこないので
恐らく殆どの人が才能の差というのを実際に肌で実感して知っていることでしょう。
とはいえ励まされる時に「努力したら結果はついてくるよ!」
という言葉を貰うことがあるでしょう、しかし断言します。
無駄な努力に結果はついてきません。
諦めましょう。
と、厳しい言い方をしましたが、一回やってみるのは良い事ですよ。
何事も挑戦ですから。
まず、努力したら結果が出ると言う人はよく居ますが。
それはまさに才能のある人です。
才能のある人が自分の才能を活かして努力したから結果が得られるわけであって、
才能のない人間が努力したとしても殆どの場合結果は得られません。
まぁ結果が得られなかったという経験を意味があるとする場合には別ですが。
とはいえ努力するなと言ってるわけではありません。
寧ろ私は努力を推奨しています。
それは、自分の才能のある部分に関して努力する事です。
自分の不得意な部分はできないまま自分を許すと少し楽になります。
だからといって全ての努力を放棄することはあまり宜しくない…。
少し話が長くなってきたので次の機会は
自分の才能の探し方などを話して行こうかなと思います。
また、相談等あれば受け付けておりますので、連絡頂けると幸いです。