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不幸自慢で終わらせず不幸を利用する

こんにちは、てとててです。

私は家庭の事情に巻き込まれて、誰にも相談できず自分で選べる選択肢のないまま6回も転職を繰り返し20年もの時間を無駄に過ごしてきました。

あのときこうだったら・・・、こうしてたら・・・なんて過ぎた時間ばかり考えてしまい、正直後悔ばかりの人生です。

わたわざ掘り返さなくてもこのままなにも頑張らなくても生きることになんの支障もないけれど、このまま終わらせてしまうのは絶対に嫌でした。

だけど、こんな私に何ができるだろう?

初めは過去の話を全部曝け出して私は可哀想なんだぞー大変な人生なんだぞーって同情を誘った不幸自慢でもしようかと思いました。

麒麟の田村裕さんのような『ダンボール中学生』は当時テレビで紹介されてたときから知っていて、私の人生とも似通っていると共感もあり、ひとつの指標として参考にして文章を考えて、書いては消して書いては消して繰り返して、膨大な不幸自慢のレポートができました。

これを投稿すれば私の目的は達成されるはず。
だけど、心のどこかに消えることのない違和感が残り最後のエンターキーが押せずに時は流れました。

これで本当にいいのか?
無名の私が書いた不幸自慢にどれくらいの人が見てくれる?
読んでもらってそのあとは?

計画性なんて何もありません。
自己満足で終わらせるならそれだけでよかったけれど、それで本当に私は満足か?

答えのないまま本屋を彷徨っていると、ブログやX(旧Twitter)での集客や収益に関する本がずらりと並んでいて、なんとなくその中の一冊を手に取り読んでみたら、大きく衝撃を与えられたような感覚がありました。

「この不幸を利用できるんじゃないか?」

私には誇れる経歴も資格もない。
自慢できるような特技も趣味もない。

だけど私のこの後悔だらけの20年を知っている人は私一人しかいないじゃないか。

そのときから私の価値観は、「後悔する過去」から「希少で価値のある過去」に一変しました。

10代で会社の倒産と自己破産を経験してたなら、「お金」のことに関してこれ以上ない経験になっている。
6回も転職繰り返していたなら、「転職」のことに関してこれ以上ない経験になっている。

病気のことだって家族のことだって、誰にも相談できずに苦しい思いをしたことだって、どれも希少な情報資源になるんじゃないか。

思い出したくもない辛い経験なんて世の中ありふれているけれど、我慢して忘れるばかりが正解じゃないんだと思う。
乗り越えて自分の武器にしてこそ意味のある価値ある経験なんだと思う。

私は不幸自慢で終わらせたくない。
不幸は利用できるんですよ。

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