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自信を失くすということ

こんにちは、てとててです。

私は過去に鬱病で苦しんでいた時期があります。

とはいえ病院行ったりカウンセリングを受けるような金銭的余裕もなく、家族の理解もなかったので、実際には鬱病と診断されたわけではないですけどね。
なのでここでは鬱病(仮)としておきましょう。

鬱病を周りから見た時の印象は「気持ちが沈んでいる」だとか「否定的になっている」だとかそんな感じだと思います。

風邪のように咳や発熱や喉の痛みみたいなわかりやすいものではないため、気軽な感じで「今日鬱だわー」みたいに使われてしまうため、馴染みはあるけど実際に体験するものと大きく差があり、勘違いされがちな部分はあるのかなと思います。

私はこの病気は本当に怖いなって思いるんですよね。

なにが怖いかってゲームのようにパラメータがそれぞれわかれているとするなら、「自信」というステータスが、マイナス値まで減少してしまい何年も何十年もぜんぜん元に戻らないというデバフがかかっているものだと思ってください。

私は医師でもカウンセラーでも専門家でもないので、あくまで個人的見解ではあるのですが、この「自信を失くす」というものがどれほど私生活において悪影響を及ぼすか、私の体験談で書かせてください。


何もやってもうまくいかなくなる

なんの根拠もない話ですが、本当になにもうまくいかなくなるんですよね。

  1. 自信がないから全力が出せない

  2. 全力じゃないから中途半端になる

  3. 中途半端だから失敗する

負の連鎖でやればやるほど失敗を量産して、どれだけ努力しても結果は逆効果、状況はどんどん悪化していって、真面目な人ほどがむしゃらに努力して自分ではどうすることもできないところまで落ちてしまう。

「頑張るな」っていうのはそういうことなんですよね。
そういうときもあると楽観視してサボるくらいがちょうどいいけれど、仕事だったり家族だったり、自分が頑張らなければいけないという状況はいくらでもある。

私も根が真面目な方で家族や周りの人の理解がなかったせいで延々とこの負の連鎖を繰り返し、自分で自分の首を絞めてしまいました。
それに気づいた時にはもう10年の年月が経ってしまい、大切なものもたくさん失うことになってしまいました。

失敗を異常に恐れてしまう

失敗が怖いんです。

やらないで失望されるくらいならせめてやれるだけやって失敗した方がいいけれど、失敗するって自分でもわかっている。

どっちにしたって失望されるんです。

失敗を繰り返して誰からも信用されなくなって、焦りから手が震え不安で眠れなくなり24時間極限に緊張している状態が続き、精神的にも体力的にもボロボロになって、逃げ出すしか選択肢がなくなってしまう。

自分じゃどうしようもできないから周りに理解してほしい部分ですが、これもやればやるほど失望されていくためいままで味方だった人たちが次第に自分の中で敵に変わってしまうんです。

今の自分が大嫌いになる

やがて自分で自分のことを失望してしまいます。

「なんでこんなことも…」「どうせ私じゃ…」
口から出る言葉は否定的なものに変わり、最終的には自分自身が自分の敵に変わってしまいます。

周りの目が怖くなり、周りからも自分自身からも攻撃されているような感覚になってしまい、逃げ場すらどこにもなく、私だって一歩間違えていたら最悪なケースも十分に考えられる状況にまでなっていました。

これだけは言いたい

ここまでしんどい文章を読んでくれてありがとうございます。

自信がないなんて気の持ちようだなんて言われてしまうこともあるけれど、だれでもふとしたきっかけで陥ってしまうものだと思うし、一度こうなってしまうと元に戻るまで途方も無い時間が必要になってしまう。

自分ではどうすることもできないものだから、もしも自分が「うまくいかないな」「不安だな」って思っていたなら、迷わずに頼れる人に頼ってほしいと思う。

そして身近な人が、落ち込んで追い詰められていると感じた時には、手を差し伸べられるようになってほしいと思う。

目に見てわかりやすいものではないから間違えやすく、勘違いされやすいけれど、我慢して無理して乗り越えられるものじゃないから、自分のこと周りのこと注意深く見てあげることが大事だと思う。

そして、休むことは決してサボっていることでも怠けていることでもないので、十分に休んでまた立ち上がれるようになる時に頑張れるように、いまは「頑張らない」ことがとても大切なことだと思います。

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