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人間科学 【いつからでも新しく|羽仁もと子のことば】

 人間はまず人間を知らなくてはなりません。人間を知らないで人間を生きようとするのは無理なことです。

 われわれが人間を知るのには、その一人であるところの自分を、注意ぶかく本気に生きることからはじめなくてはなりません。また自分と周囲の人間との、さまざまの関係交渉を、同様に注意ぶかく、本気に取り扱うことからはじめなくてはなりません。

 けれども、それだけで自分がわかる、人間がわかっていると思っていたらまちがいです。自分を見つめ、周囲を見つめ、または自分の棲んでいる現在のあらゆる社会相人間相に通じているとしても、それはやはり人間の一平面だと思います。

 どんなに自分自身をよく知っている雀があっても、それは鳥を知っているとはいわれないように。そうしてまた鳥を知らないでは、雀自身がほんとうにわかり得ないように。

 ことに多くの変化と進歩に富んだ歴史をもっている人間なのですから、その人間を知るためには─いいかえればまた自分を知るためには─活きた眼をもって、人間の生命の歴史を通観しなくてはなりません。そうしてさらに、その中に現われている個々の生命を、さまざまの類別によって、できるだけ深く徹底的に知ることをつとめなくてはなりません。

 自然科学、社会科学、次に興ってくるもの、見出されてくるものは、人間科学ではないでしょうか。人間の生命も科学的に研究され得るものであり、そうされなくてはならないものなのに、それがまだないために、人間の精神生活が漫然となり手前勝手になっているのだと思います。

 人は自己に対する知識を基礎に、人間を考えることができ、人間を知りつつ、さらに自分に注意することによって、はじめてだんだんに自分の個性を発見し、独自の使命を感ずるようになっていくものです。

羽仁もと子著作集 第一巻『人間篇』 1929年より

羽仁もと子著作集 第一巻『人間篇』 人生を深く生きるために、まず人間そのものを知ろうと、文豪の描く名作中の人物の生き方を探る。

はに・もとこ(1873~1957)
青森県八戸市生まれ。日本で初の女性新聞記者となり、1903年、羽仁吉一と『婦人之友』を創刊。1930年に全国友の会を創立しました。このシリーズは、「私どもはいつからでも新しくなることが出来ます」と記した羽仁もと子のことばから掲載しています。

出典:出典:『かぞくのじかん』(休刊中)2021 春 Vol.55


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