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自分で自分と手を繋ぐ

最近の自分が嫌いだ。

何だか内側ばかりに目を向けて、どうしても外側を見られない。

自分にしか興味がない。

もう少し前は、もっと外側を見られていたはずなのに、最近はとにかく自分にしか興味がない。

この状態があまり良くないことを私は知っている。自分しか見えないということは、どうしても自己中になるからだ。

だからと言って、そういう自分をやめなさいと自分自身に語りかけても聞く耳持たないことも知っている。

やれやれ、とそういう自分を認めることは、諦めることにも少し近い。



「いちばんゆるすのがむずかしいあいては、じぶんなんだから」


読書会で出会って少し交流をはじめたともみさんのnoteで紹介されていた本に書いていたことば。


その中の一冊だった。

心に染み込むような言葉がたくさんあって、さみしくなったとき読むのに良いと思った。

(他の絵本も少しずつ読んでいますよ!)

「いままであなたがいったなかで、いちばんゆうかんなことばは?」
うまがこたえる。
「たすけて」


自分に向かっているときは他者が見えないから、たすけて、も言えない。


1人で勝手にもがいて溺れている。
それでいて、ひとりぼっちは寂しいと泣く。

なんてめんどくさいやつ。



***

バナー写真は、子どもと雪遊びしたときの写真。

寒い日に降る雪はサラサラのパウダースノーで、人拓はパウダースノーの方がきれいにとれる。固まらないから雪だるまには向かない。

まっさらな雪原に突然寝転がった私を見て、娘は何とも言えない笑顔を向けた。

「ほら、見て」

起き上がった私の後ろについた、私のかたちをみて、目を丸くする娘。
そして、おかあさんのかたちだ、と喜ぶ。

「となりに、手を繋ぐ感じで寝転がってよ」

と、私が言うと、娘は嫌そうに顔を横に振った。

「しゃっこいからいやだ」

「ちゃんと着てるからしゃっこくないって」

嘘だった。

雪の上に寝転がれば、多少どこからか雪は入ってくる。
しゃっこいところは、ある。

結局娘は寝転がってくれなかった。

仕方ないから自分で自分の隣に寝転がる。
数分前の自分の手に自分を重ねる。

首やほほに雪が触れて冷たさでピリピリする。
でも、目の前に広がる空は青くて気持ちいい。

生きているなぁ、と思う。
夏の芝生に寝転がるのとはまた違う、気持ちよさがある。

やらない娘はもったいない、と思う。

冷たい雪原に二回も転がる母を、娘はちょっと冷めた顔で見ていた。

出来上がった、一人二役で手を繋いだ人拓を見て、これはこれで、なんとも自分らしいと思わず笑ってしまった。

自分で自分と手を繋ぐ。

ほんとうはもっと色んな形で色んな人と連なりたいと願いつつ。

今は内側の自分とつながっている。
嫌いでも、つながっていたいと思う。

ま、そんな時期も、あっていいか。

自分で自分とすら繋がれなくなるよりは余程いい。

この雪がとけてなくなる時期になるころには、もう少し外側に気持ちを持っていけるようになるんじゃないか。

そうなりたい。

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水谷アス
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