こころのもつれを解きほぐす③
カウンセリングを受けて、母と子の関係について相談しています。
心の中でイメージした「椅子に座っている母親」に対し、心の皮膚をつくって自分と相手を分け…
"わたしは、あなたの期待に応えるために生きているわけではありません"と心の中の母に対して宣言するよう、矢野先生に指示されました。
私はそれを言おうとしたのですが『お口チャック』されているかのように口があかなくなってしまいました…というのが前回までのお話。
そんな前の話はこちらから。
言おうという意志はあるけど、その言葉を出すことを身体が拒んでいるという感じ。これは今回のカウンセリング以前でも同じことは起こりました。
ただ、初回・2回目に関しては「身体が怖がっていて言えない」感じでした。
言ったらなにか恐ろしいことが起こるような気がする…という感覚です。
でも今回に関してはそういう感じではなく、ただ純粋に口がその言葉を発することを拒んでいる感じでした。
私が言えずにうろたえている様子を見て、矢野先生は椅子の向きを変えました。その瞬間、当然のことながら私の脳内の母のイメージは「背中」になりました。そして、それに安堵を感じている自分がいました。
そして「背中」に対してならこの言葉は言えました。
すらすらとは言えませんでしたが。
「じゃあ今度こそ正面から言ってみましょうか」と椅子の向きが元に戻った瞬間…
ほんとに口が「ぎゅうううう」って無理矢理閉められる感じがありました。
これホント不思議だったなぁ…。
「背中」には言えたけど、どうしても「正面」からは言うことが出来ません。なんで?なんで??自分でもそれがわからず戸惑いました。
矢野先生は「じゃあ、言う言葉を少し変えましょう」と言って違う言葉を提案してくれました。
それが
前の台詞
"わたしは、あなたの期待に応えるために生きているわけではありません"
から
"お母さん、あなたは私の期待に応えるために生きる必要はありません"
『期待に応える気はない』と伝えるのではなく『期待に応えなくていい』と伝える。立場が逆になりました。
何でこんなことを言わせるんだろう?と、正直不思議な気持ちになりました。私は母に対して期待なんて別にしたこと無いよ、と思っていたからです。
でも、あとから私はこの言葉の重さを思い知ることになります。
娘としても、母親としても。
逆の立場の言葉なら別に問題なくスラスラ言えました。
…が
「続けて、この言葉を伝えてください」
やっぱり『お口チャック』ーーーー!!!
これ、ほんとのほんとに不思議でした。
普通に喋れるし、別な言葉に置き換えても話せる。
…なのに、
"わたしは、あなたの期待に応えるために生きているわけではありません"
この言葉だけは、言おうとすると口の筋肉がぎゅっと締まって、どうしてもこの言葉を言うことを私の口が阻もうとするのです。
なんでなんで??と戸惑う私。
ふと、身体の違和感に気がつきました。
これは多分ひとつ前に受けた『ゲシュタルト療法』を受けた影響もあると思います。私が受けたゲシュタルト療法では、セラピーが始まる前に自分の身体が感じるメッセージを大切にするよう最初にいろんなワークをしました。
「今、私はこんなことを感じています」「見えています」「聞こえています」というような五感に関わることをその場にいる人と伝えあったりするのです。やりながら「改めてこれを口に出して言い合うことに何の意味があるんだろう??」と、結構不思議な気持ちになりました。
でも、そのワークをやっていたおかげなのかわかりませんが…その後セラピーを受けたとき「身体のどこかが何かを感じていませんか」と言われたときに、身体の違和感をすぐ感じることが出来ました。
そこで一度その感覚を覚えてからは、日常生活でも嫌なことがあったり楽しかったことがあるたびに「身体のどこにどんな感覚があるかなぁ」と考えるようになっていて。
だからこそ今回「喉元」になんだか変な感じがしたことに結構早く気がついたような気がしています。
もうね、何ていうのか。
さつまいもを水なしで飲み込んだ…ぐらいの感覚がありました。どーんとそれなりのボリュームの塊が胸の周りに居座っている感じ。
もちろん何かを食べながらカウンセリングを受けているわけではないので、食べ物が詰まっているはずはありません。
詰まっているとしたら「伝えたいきもち」のようなものだろうと思いました。
矢野先生はすぐに私が胸の違和感を感じていることに気づきました。
↑まさにこんな感じ。
なんか詰まってて、叩いたらそのうち出てきそうな、そんなかんじ。
「胸がなにか言っているとしたら?」
これも、初回・2回めのカウンセリングで自分も他の方も言われていたことばでした。身体のどこかが「何と言っている気がするか」
正直、身体のパーツは喋れるわけではないのですが…の人も質問に対して答える言葉は、客観的に見て「確かにそう身体が訴えていてもおかしくないな」と思えるものが多かったように思います。
詰まった気持ち悪さを流そうと胸をトントンしながら胸に意識を集中してみると、なにかこう、メッセージ的なものが感じられます。
私の感じたのは「胸がなにか言っている」というよりは「脳内にいる別人格が何か言ってる」みたいな感じ。
何か日常でもありませんか?
何かをやろうか迷ってるときに「やってみろよ」って言う声と「失敗するかもしれないからやめとけよ」って声がせめぎ合うみたいな感じ。
自分というひとりの人間の脳内に確実に異なる意見が発生する感じ。
思考している自分とは別な自分が、強く言ってくるイメージが頭の中に浮かんできました。
ここに詰まってるもの、なんだかわかってんだろ!?
言いたいならとっとと言っちまえ!!この意気地なしが!!!!
私が感じたのはそれぐらいの攻撃的なイメージでしたが
先生に伝える言葉は結構控えめに伝えました。
『「出してもいいよ」みたいなことを言ってる気がします』
…そう、口に出した瞬間
「あ、言えるわ」
スカッと心の中が晴れたような、そんな瞬間がありました。
(ちょっと気持ちよかった)
言えたーーーーーー!!!
もちろんスラスラなめらかに言えたわけではありませんが、口のチャックは発動しませんでした。
私は、心の中の母に「言いたくても言えなかった」ことばをようやく言うことができたのです。
まだまだ続きます。