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『女の呪い』を雛人形が解いてくれた

正月飾りを外し、どんど焼きに出してきた。

ふと、どんど焼き受け入れの箱に注意書きがあることに気づく。

『人形等は別途受け付けておりますので社務所の方へお問い合わせ下さい』

人形、等。

お正月に人形を飾る文化はないだろうから、この人形等が指すものは五月人形や雛人形、もしくはゴミとして捨てるのが忍びないリカちゃん人形みたいな、要は「ひとがた」と呼ばれるものの扱いだろう。

私はちょっと立派な雛人形を持っている。
私が生まれたときに買ってもらったものらしい。

自分が子どもの頃、ひなまつりになると家の片隅にその人形が飾られていたことを思い出す。あれは、何歳のころまで飾っていたろうか。

私が結婚して家を出るとき「これはあなたのだから」と言って雛人形一式を渡された。
長女が赤ちゃんのころ、その一式からお雛様とお内裏様だけを出して飾った。それ以外の装飾品一式を飾らなかったのは、出したりしまったりするだけの気力が乳幼児育児をしている私にはなかったからだ。

しかし、娘のために母親の雛人形を飾るというのはあまりいいことではない、という話をあとから聞いた。
雛人形とは女の子に降りかかる災厄を代わりにうけとめるひとがたであるから、母から娘に引き継ぐと厄も引き継いでしまうのだという。

それを知ってから、私が実家から持ってきた雛人形は一切出されぬまま家の収納の奥へしまいこまれていた。

人形供養、気になっていた。
飾られもせずにしまいこまれているぐらいなら、何十年も私のことを災厄から守ってくれたであろう人形をきちんと供養して天に還した方がいいのだろう、と。
何度か人形供養することを考えたものの、金色の和紙で装丁された箱は「こんな立派なものを燃やしてしまっていいのか」という気持ちにさせる。
とはいえ、どんなに立派でも、恐らくこの先飾ることはないのだ。

社務所に人形供養のことを問い合わせると、人形供養はどんど焼きとは別途行われるもののようだった。とはいえいつでも受付は可能とのこと。
思い立ったが吉日、人形を供養に出すことにした。

ひな壇や屏風のような大きなものは一緒に供養出来ないので、人形や装飾品のみ分けて持ってくるよう言われた。

家に帰って、10年ぶりに雛人形一式が入った大きな箱を開けてみる。
箱の中にある人形や装飾品は、ひとつひとつ、丁寧にきれいな色の和紙で包まれていた。
(娘が生まれたときに飾った人形たちだけは不器用な私が包んだので雑だったけど)

1枚ずつ和紙を開き、供養に出せるものと出せないものを分けながら、供養に出せるものを金色の紙が貼られた箱に戻していく。

その作業をしながら、小さかった頃のことを思い出す。

私は上に兄、下に弟がいる。
昔は「男子は跡取り」なんて言われる時代だったから、長男である兄は大層祖父母に可愛がられていた。祖父の膝は兄の指定席だった。

わたしは、どんなときも兄が最優先されているように感じていた。

そして「女子は一歩下がって男を支える」みたいな思想もあった時代だから、兄や弟が家事をしなくても女児である私は家事をするよう言われたりした。私はそういう扱いがひどく嫌で、いつも不満を感じていた。

私自身小さい頃は多動衝動が非常に強い子どもだったらしい。
祖母の家には「大事なものがある部屋」というのがあった。その部屋の手前の床にはガムテープが貼ってある。此処から先のものを壊されては困るからこの線から向こうにアスちゃんは入ってはいけない、という。

ガムテープの向こう側には障子もあった。こっそり境界線を超えて障子に穴を開けて怒られた記憶なんてものもある。
今思えば「やってはいけない」と言ったことほどやるし、おしとやかとは程遠いお転婆娘だった。理屈っぽいし、やっかいな子どもだったろうと思う。

ちなみに次女は私の幼少期とかなり似ているらしい。
先日、次女が「きょうは、うるさい、って5回もおこられた」と落ち込んでいた。突然大声を出したり、走り回ったりしていたので家族それぞれの口から何度かその言葉が出たのだ。

実際次女はうるさいし、落ち着かないし、触らないでほしいものを触る。心を傷つけないように注意することはとても難しいなと思う。
私には、小さい頃沢山怒られていた…という記憶があるが、立場が大人になって次女をてみていると、自分が怒られたという記憶は私自身の被害者意識だけで言えるものばかりではなかろうな…と、妙に納得してしまうところもある。

話がそれた。

祖母の家に何十年も前に貼られたガムテープの敷居はまだ存在する。恐らく私が次女に壊されたくないものがある部屋があるならば、同じ対応をする気がしている。

おとなになった今でも、そのガムテープをまたいで先の部屋に入ることに若干の抵抗があることがなんだか面白い。

兄はそのガムテープの向こうの部屋によく入っていた。

私が入ると叱られるその空間に、兄は入ることが出来た。
私が壊すと叱られたものも、兄が壊したときは許された。
私が使うと怒られたものを、兄は当たり前のように使っていた。

弟は、よくわからない。いい感じに立ち回っていたんだろうか。
でも少なくとも私は、お転婆だったからこそ「女の子は女らしくあれ」ということをいつもいつも言われていた。
男の子だったら元気でいいと言われそうなことも、女の子がやると良くないことのように言われる気がしていた。

祖母から、あるとき兄と弟が車のおもちゃをプレゼントされた。
私へのプレゼントは絵本だった。私は本が好きな子だったから、祖母はそれも踏まえて私に本を選んだのだろうが「私も車が良かった」と大泣きしたことを覚えている。
あの日の私は、自分に渡されたものが車じゃなくて本なのが、女の子ならおしとやかに本を読みなさいと言われているみたいで嫌だった。
未だに絵本の表紙と、兄と弟がもらった車のデザインを覚えている。
執念ぶかい記憶である。


私は、女は損だとずっと思っていた。

だから雛人形も、ちっとも嬉しくなかった。
兄や弟が持っていない、私だけに与えられたこの飾り。自分だけにそれが存在することは優越感ではなく劣等感を際立たせた。

ひなまつりになって私の名だけが書かれた札が人形の前に飾られるたび、兄弟の中で私だけが女の子であることを思い知らされる。今思えばどんなに特別扱いかと思うことなのに、とにかく、私はずっと、女子に生まれたことが嫌で仕方なかった。
何かと贔屓される兄を見ては、女として生まれなければもっと愛されていたんじゃないかと思うこともよくあった。

飾りの中に入っていた刀が私はお気に入りだった。スラリと抜くと、偽物の刀身が出てくる。かっこよかった。
女の子だけど雛人形にはまるで興味がなく、ひたすら刀が好きだった。
キレイな飾りもいっぱいある中で刀にばかり興味を示す私を見て、周りの大人はどう思っていたのだろう。

ひとつひとつ小さな箱に収められた装具を開いては、小さな頃のことを思う。箱の中に入っているさらに小さな箱を開けると、その中に入っている飾りひとつひとつがきれいな和紙に包まれている。大切にされていた事が伝わってくる。

私自身が「女は損だ」と思っていたことは、ただそういう風に世界を見ていただけなのかもしれない。
丁寧に包まれた雛人形一式をひとつひとつ開きながら思う。

大切にしていない娘のために、こんな立派なものを買いはしないだろうし、毎年出したりしまったりもしたくないだろうし、丁寧に片付けることもしないだろう。

何十年も前に買ってもらい、何度も飾られ、やんちゃな私に時におもちゃにされていたかもしれない雛人形たちの状態はとても良かった。


私はこの雛人形をあまり好きではなかったが、こんな立派できれいで細かなものを毎年出しては丁寧に片付ける作業をしてくれたのは誰だったのだろう。
雛飾りを飾るのは男親がいい、なんて話を聞いたことがある。父が飾っていたのだろうか。でも父がこんな丁寧に片付けるとは思えないから、父が飾っていたとしても片付けは母だったかもしれない、とか考えたりした。

何にせよ家に女児が生まれ、雛人形を買うとき願うことがあるとすれば「この子が健やかに育つこと」であるはずである。年中行事としての形式というものももちろんあるだろうが、そういえばものすごく可愛がられて育ったはずの兄、そして男児としてもうひとり弟もいたはずにも関わらず、家に五月人形があった記憶がない。兜も…あっただろうか…?
本当に小さい頃住んでいたアパートに鯉のぼりを立てた記憶はうっすらとある。五月人形や兜も、あったのに覚えていないだけかもしれない。


雛人形は、子どもを怪我や病気から守り、幸せな家庭を築けるようにという願いがこめられているという。何歳ぐらいまで飾られていたかはわからないが、ある程度の年齢になるまでは飾られていた記憶がある。

私は幾度となく怪我をした。兄弟の中で一番怪我が多かったと思う。兄弟の中で唯一の女児にも関わらず、一番のやんちゃだったからだ。
無鉄砲な私でも生死に関わる怪我をしなかったのは、この雛人形が守ってくれたおかげだったのかもしれないなと思ったりした。
そう考えるとこんなもの要らない!と思ってしまっていて悪かったなぁ、と何十年越しに思う。

人形から外して保管されていた首を差し込み、おかげさまで元気で健康に、幸せな家庭を築くことが出来ましたよ、と、雛人形たちに話しかけてみる。

その瞬間、胸がじんわり温かくなった。幼少期の自分が愛されていなかったんじゃないかと思っていた記憶が消えていくような気がした。

キレイなかざりと、キレイな人形と、大きな箱に納められた沢山の装飾品。これを出し入れしていた大人の気持ちを思う。

父だったのか、母だったのか。もしかして祖父母だったか。

大人になったからそれを想う事ができる。

親になったからそれを想う事ができる。

「ありがとうございました」

人形に向かって、そっと手をあわせた。

その言葉は、人形とともに、いつもこの人形たちを用意してくれたひと、大切に扱ってくれた人たちにも向けて。

人形たちは神社に持っていき供養してもらうから手元には残らないけれど、女の子を育てる母親になってから箱を開けて過去に思いを馳せることが出来たのはとても良かったと想う。

思い出すための供養。そうだ、供養は「人の共にあること」が大切だと以前友人が亡くなったときにお坊さんが言っていた。

私は人形のことも、幼少期のこともすっかり忘れていた。
思い出して、感謝することが出来たからこそ人形を手放せる。


…ところで、今こうやって自分の雛人形を供養する立場になって思うのだが、私は娘たちに雛人形を用意していない。
雛人形を飾ったりしまったりするスペースも気持ちの余裕もないというのが一番の理由である。マメに年中行事を遂行する方を尊敬します。ほんとに。

私の母が手芸を得意としていて、小さなお内裏様とお雛様の人形を作ってくれたのでそれをいつもささやかに飾っている。
親として娘の健康を願っての人形を飾ることすら面倒くさがった母としての自分が不甲斐ない。やんちゃな私を含む3兄弟を育てながら雛飾りを毎年出してくれていたのは本当に凄いと思う。

何十年越しにお雛様が私に伝えてくれたこと。
それは、小さな頃自分が勝手に「女に生まれて損をした」と思い込んでいた呪いのようなものを、解いてくれるものだった。


神社に人形を納めた日は偶然にも満月の日だった。
あとから偶然知ったが、満月の日には「手放し」をするといいらしい。
何十年越しの手放しを満月の日に出来たこともまたご縁だと思っている。

我が家で女の子の私だけにあったおひなさま。
お焚き上げで神様のもとに還る人形に入っていた魂のようなものがあるとしたら、それはまた、違う何処かの女の子を護る人形に宿るのかもしれない。

護ってくれて、大切にしてくれて、ありがとうございました。
お焚き上げで天に戻った魂へ、もし可能ならまた次もやんちゃな女の子を護ってあげてくださいと願いを込める。

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水谷アス
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