*事実をみる*
・今回のmemo
これはわたしのテーマかもしれない。
まわりの世界をつい
「思い込み」や「解釈」で
ゆがめて見てしまうから。
これは、視覚的にもいえるのかも。
わたしは元々、遠視傾向で
近くよりも遠めが見えやすい。
かといって、近くも見えるので
とくに困っていなかった(と思っていた)。
40代に入って、急に?近くの
人やモノとの関係性に違和感を覚え始めた。
それが視覚にあることに気づくのに
すこし時間がかかったのだけど。
もしや、視覚?と気づき始めたのは
毎日している「食器洗い」からだ。
とくに「食器洗い」は
わたしの「視覚」において、
とても刺激がつよいものです。
近くのモノや人に目の焦点が合いにくい
なりに今までは、何とかやってきた。
それが、40代に入り筋力も衰えてきて…
ガンバれなくなったのだ。
(いわゆる老眼ですね👓️✨️)
然しながら、
目を緩めて使うことを覚えて
焦点が合わなくても
「食器洗い」できることにも気づき、
随分とらくになりました。
いつでも全てを
ハッキリくっきり見なくともいいよね。
この意味があまりピンときていなかった。
やはり、自分が見たいように
世界を見てるんだよなあ。
今は、近くモノや人との関係性が
らくになってきています。
いつも焦点を合わせなくとも
必要なときに合わせればいい
と選択できるようになったからです。
ずっとガンバってたから(無自覚)
ほんとは困ってたんだなー
今はボンヤリしたり、クッキリしたりと
ありのままを受けとって(事実をみる)
わたしの見える世界をたのしんでいます。
2024/8/13/mayumi@kyoto
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