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桜を見た

大学院生になった。

私が所属するコースは学部生の頃から人数が少なく、院進を決めたのは私を含む2名だけだった(外部からも来ない)。

学部時代にコースの中で仲の良かった子達はみんな就職。特に1番仲の良かった子とはいつもバカ騒ぎしていたので、そんな相手が居なくなった大学は、私にとって同じ場所なのに、まるで違う場所のようだった。

研究室。
昨年は同期が3人、先輩が1人の計5人だった。少人数な大学故、これでも多い方なのだが、今年は後輩2人と私の3人だけ。
なんだか研究室に居ても心地が悪く、寂しい思いが強く込み上げてきた。

分かってはいた。
すごく孤独な院生生活を送る羽目になると。
だけどこの道を選んだのは私。
就活から逃げたのも私。
別に惰性で大学院に進学したわけではないけど、ほんの少しだけ後悔の念に駆られる。

というわけで、友達が本当に居ない。

4月が始まって、コースのイベントがあって、入学式があって、ガイダンスがあって、健康診断があって、、、週末を迎えた。

幸い、外面は明るく生きているので、興味を持ってくれる方が居て、新しく仲良くなることもできた。
でもやっぱり心が満たされなくて、学部生の頃の充実さを求めてしまう。場所が変わっていないからなのだろうか。

大学の近くには、川沿いにたくさんの桜が咲き誇っている。
きっと今でもみんなが居たら、お花見しよう〜とか言って、集まって、喋って、時間を共にしていたのだろう。

でも今年はそうはいかなかった。
お花見というイベントがない、というか、そもそも、桜を見るという機会がなかった。
日々が充実していないのを隠すように、ずっとバイトを入れて紛らわしていた。

だけど今日はまさかの早番で、
帰りに桜でも見るか〜、と自転車を走らせた。
できるだけ最短距離で辿り着くルートで、川沿いを気持ちよく走ろうと思っていたのだが、、私が甘かった。今日は日曜日だ。たくさんの人が居て、もはや花見ではなく人見であった。

でも、その中でも思い出す、数々の記憶。
2回生になりたて、1回生の頃に仲良くなった子達とお花見。
3回生になろうとしている頃、当時の恋人とのお花見。

桜並木を自転車で漕ぎながら、この場所で過ごした4年間はかけがえのないものだったと痛感した。独りになって初めて分かる。

同じような生活が送れるはずはない。社会に出た友達は、みんな充実してそうなSNSに見えていても、実際は社会人として、1人の大人として今を生きていて、その過程では孤独な場面がたくさんあるはず。
まだ学生、という言葉を利用して、孤独から目を逸らしている私は一体、なんなのだろうか。

大人になる、とはこういうことかな。
私が抱く理想の大人は、「依存せず、意志を持って生きる人」である。
それに近づく、一歩なのかもしれない。

孤独な院生生活、孤独なりに、支えてくれる周りの人への感謝を忘れずに、自分を持って生きていきたいと心に誓う。

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