爆裂泣いた日
おうち時間
体重増加に 待ったナシ
こんな俳句が出来上がるくらいには体重増加が止まりません。どうも、モノです。
同期にも、なんかふっくらした?と言われました。
えぇ、そうですとも太りましたよ
今日も今日とてメシがうめぇ!!
課題山積みてんこ盛りのカテ入院を取り決め、家では引きこもりを続けてるうちにあっという間に入院の日を迎えた。
転院先の大学病院は付き添い入院が許されていたので、母は私と約1ヶ月半ほど病室ですごした。
まずは、入院翌日の心カテから始まった。
家族はみんな祈った。
在宅持続静注療法までには至らないように。
祈りも虚しく、肺動脈圧は正常値を大幅に越えていた。
初めての心カテは鼠径部からだった。
検査後8時間は安静を強いられるアレ。
めちゃくちゃキツかった。
カテ翌日には在宅持続静注療法(以下、フローラン)の話が進み始めその次の日には実際に抹消の静脈からのお試し期間が始まった。
いつもの抹消ルートライン確保だと思い、呼ばれた処置室へ行くとそこにはいつもの白衣ではなくガウンと手袋をはめたラクダ先生と初診日に会った先生とはまた別の小児移植外科の先生と看護師、研修医というオールスター勢揃いの状態だった。
不穏な空気を感じた。
処置台の横にはエコーの時に使うようなデカいモニター
いつもの抹消確保なら腕だけ処置台にのせて取ってもらう。なのに、その日は処置台に横になるように言われた。抹消確保のついでにエコーでもするのか?と思った。
腕にオペの時に被せるような、刺す場所だけが穴の空いたシートを被せられた。
なんか、ただことじゃない。
いつもとは違う。
何かが違う。
そう思うが早いか、爆裂泣いた。
めちゃくちゃ泣いた。
不安と恐怖で取り乱したように泣いた。
色んな人が宥め、諭し、誉め、励まし泣き止ますのに必死だった。
本当なら清潔な手技が必要となるので家族もこの処置中は処置室には入れないけど、特別に母を呼んでくれた。
そして、いよいよ針を刺した。
いつもの抹消確保なら針をさして、針だけ抜いて終わりなのに、なかなか終わらない。
なんなら、先生はモニター見ながらズンズン奥までルートを腕の中に挿入していた。
大きくなってわかったことだけど、あれは普通の抹消確保とはちがい静脈への点滴だったからあんな大事だったんだと思う。
これがなかなか終わらないし、爆裂痛い。
足をバタバタさせるくらい泣いた。
いや、泣き叫んだ。
そんな私の手を握りながら母も泣いていた。
やっと終わった頃には、ぐったりげっそりの私
無理もない、肺動脈圧がまだまだ正常値を超えているのにあんなに泣いたんだから。
当時の私は、静脈に刺したとか胸の静脈に入れる前のお試し期間だとか分かってなかったからこそ、やべぇもん刺されたという想いで頭がいっぱいだった。
その日から、シリンジポンプ搭載の点滴台と私はニコイチ状態
お風呂もトイレも何もかも、四六時中一緒だった。
さすがにお風呂の時も一緒って言われた時は、これいつもの点滴とちゃうやつやなと薄々感じた。
毎日、定刻に看護師さんが薬液が満タンに入ったでっかいシリンジ持って交換しに来るとか
母がやけにチューブの折れを気にするとか
色々不思議に思うことはあった。
そして、決定的なことが起きた。
あれは気晴らしに母と2人で院内のコンビニに行った時、その日はずっと使っていた点滴台の車輪が壊れてしまったので別の点滴台に交換してもらった。
交換してもらった点滴台は妙に高さが高くて天井スレスレだった。
母と2人で手を繋ぎ、コンビニへ向かう途中の廊下に本当に少しの段差があった。
点滴台とニコイチの生活をしてから恐らく3週間ほどが経っていたので点滴台の操縦もプロ級だった私はその段差も優に超えられるそう思い、勢いよく段差に車輪を乗せた。
その時だった、段差に乗せた影響で天井スレスレだった点滴台がガッツリ天井に突っかかり、勢いよく点滴台が転倒した。
その時の母の動揺がはんぱじゃなかった。
いつもの抹消確保ならそんなことないのに。
いつも冷静な母がすごく動揺していた。
すぐに点滴台を起こしたが、転倒した衝撃でシリンジポンプからシリンジが外れたんだか、ボタンを誤って押さえたんだかで、フローラン投与が一時的に止まった。
爆速で病棟へ逆戻りし、シリンジポンプを繋ぎ直し事なきを得た。
あの時の動揺した母のことは一生忘れないと思う。
フローランお試しスタートと同時に、大学病院の一室にある院内学級へ通い始めた。
通い始めたと言っても、本格的に毎日通うには転校届を今の学校に提出しないといけないとか手続きの関係で仮入学という形だった。
それでも通わないと、びっくりするくらい勉強が遅れていた。
日中は院内学級へ行って午後からはボランティアさんと遊んで……というような子どもらしい生活が年相応の生活がようやく安定してできるようになっていた。
フローランの効果は驚くべきものだった。
私にあっていたらしい。
お試し期間後半に差し掛かると目を見張るほどの回復を遂げた。
転院直後は子ども用車イスの購入を考えていたくらい、歩行も辛い時期があった。
この回復を見て、ラクダ先生も両親もフローランを開始すべきと確信した。
お試し期間が終了後、鎖骨下の静脈へ挿入するオペをすることになった。
オペをする前に、本人に伝えることが最難関だったらしい。