憧れだった吹奏楽部の話

中学校生活初めての一大イベントである、オリエンテーション合宿も無事に終わり毎日が本当に楽しかった。

小規模だった小学校とは違い、約300人もいる学年にいると自然とたくさんの友達が出来た
しかも、入学当初にティー先生が学年に私のことを話してくれたのも相まって声をかけてくれる子も多かった。


ただ、小学校とは違い学校に滞在する時間も長くなりバス通学の疲れもあって放課後は家に帰ると晩ご飯の時間まで爆睡してしまうことが多々あった。


部活動にも入った。
憧れの吹奏楽部に入ろうとルンルン気分だったが、運動部とあまり変わらない内容のトレーニングや重い楽器の運搬、楽器を演奏するということは決して簡単ではないことを知った。


どうにかして吹奏楽部に入れないか仮入部期間中模索したが私が入部できる方法は見つからなかったし両親にも全力で止められ、呆気なく憧れの吹奏楽部は幻となった。


帰宅部でもいいかなとも思ったが、部活動に入ってると内申点が良くなるという風の噂を聞き何とかしてどこかの部活に入らねばと探した結果手芸部に入った。


同じ小学校の友達2人と(バビちゃんは吹奏楽部)一緒に3年間続けた


授業の方も、教室で受ける科目は教室内に設置した酸素ボンベをつけてみんなと同じように受けた。
移動教室はフロアごとに置いてある移動用酸素ボンベを使った。


体育だけはやはり手間取った。
授業と授業の間の10分で着替えてグラウンドに集合
これがなかなか出来なかった


時間ギリギリになるとみんなは走ってグラウンドに向かう。仲のいい友達は私を気遣って私に合わせてくれようとする子もいた。
その行為がかえって私には苦痛だった。


私に気にせずグラウンドに走って行って欲しい
でないと、友達が遅刻扱いになるかもしれない。


『私はええから先行って。ありがとうね』


そう言って先に行ってもらい、移動用酸素ボンベを引っ張って私もダッシュで向かう日々だった。


もちろん、ダッシュで向かってくる私に体育の先生は『モノは走らなくていい。自分のペースで歩いて来ていい』そう言ってくれた。


それでも自分がイヤで先生の目を盗んではダッシュで向かった。

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