小児病棟の中堅管理職



良い枕が欲しいです。
どうも、モノです。


オーダーメイドとか欲しい。
肩が上がってて呼吸が楽になるやつがいい
欲しい。







外泊
いわゆる、入院中に一時的に外泊することですね。
私も人生で2度ほどやったことがある。



1回目は何かのオペの前に我慢の限界が来て夕方に仕事を早上がりした父にむかえにきてもらって家に戻ってご飯食べて寝て、当時妹を妊娠中だった母は病院まで送れなかったので、父の出勤と同時の朝方に病院に戻った。


こんな短時間の外泊あっていの?って思うくらい本当に家でご飯食べて寝て終わり笑


でも、これを上回るほど短時間の外泊を経験したのが今日の話。



入学前に買ってもらった2段ベッド、学習机、ワインレッドのランドセルが置いてあるピカピカの自室に新入生として酸素濃縮器・外泊時だけ貸してもらったSpo2モニター


設置が完了した数日後に私は腹を括り外泊


家族が迎えに来てくれて、移動中に使う酸素ボンベを持ち込んでいざ出発。


当時、大型のファミリーカーではなく普通車に乗っていたので酸素ボンベをトランクに入れて携帯用ボンベを載せたら車内はパンパン


自宅前に到着すると私と母と妹を降ろして、父は仕事へ向かいました。
家に入ると同居していた父方の祖母に加えて、この入院中ずっと妹の世話をしてくれていた母方の祖母も遊びに来てくれていて帰りを待っていてくれた。


本当ならリビングで妹と遊んだり、おやつを食べたりしたかったけど、基本的に外泊中はベッドで大人しくしておくようにしていた。


2段ベッドの上段が私のベッドだったけど、もちろんハシゴを登れる訳もなく、下段のベッドに背もたれをつけて座るような形で家での時間を過ごす予定だった。


私の傍から離れない妹と、家事の合間に頻繁に様子を見に来る母と、欲しいものがあったらすぐに言ってね。おばあちゃんすぐに買いに行くからね。といつもの優しい母方の祖母


なんや、案外家でもいけるやん。
酸素チューブとモニターの線が邪魔やけど全然行けるやん。


と余裕ぶっこいて


自宅に戻って数時間がたった頃、そろそろお昼ご飯の時間か。と思いながらテレビを見ていた時だった。


突然、息苦しく感じ始めて祖母が異変に気づき
母がすっ飛んできて、どうしたのか尋ねても私は


『息がしにくい!!』と泣きながら訴えるだけ。
あの時の母はまだまだ医療機器にも慣れておらず心配になり救急車を呼んで病院へ連絡

そのまま病院へ搬送され、私の2度目の外泊はものの数時間で終わった。


気がつくとすでに病室にいて、私は思った。


全然あかんやん。





トンボ帰り外泊事件から、まだ入院生活を過ごしていた私は割と限界寸前だった。

大好きな母に数時間しか会えない日々も
味の薄い病院食も
部屋に1台しかないテレビにも
全てに不満を感じ、常にイライラしていた時期があった。


部屋に1台しかないテレビが案外厄介だった。
病室には患児が4人
この時既に私は1年生
周りは未就学児又は未就園児のオンパレード


病室最年長
小児外科病棟の中堅管理職


朝起きて、さてめざましテレビの占いにきょうのわんこでも見るかと思えば周囲から今で言うEテレに切り替えろとの要望

頼む、せめて今日の占いだけでも見せてはくれないか。懇願しても通るはずもなく
朝っぱらからEテレを見る。

おいおい、ウソだろ。
こちとらもう小学生だぞ。
パンダ うさぎ コアラ?
きょうのわんこみたかった、、

という現象はよくあった。

ひっきりなしに おかあさんといっしょを見せられたおかげで童謡には詳しい

案外見てしまえば私も楽しんでいたことは、ここでは触れないでおく。




すったもんだの日々の中で、ようやく息切れや倦怠感がマシになってきたなと自分でも分かる日があった。


そこで飛び込んできたのが、退院の話


退院と同時に転院も


転院先への初診日を決めて、ある程度落ち着いてきた小学2年生になる春
ようやく私は退院した。


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