何気なく背負ってたものが命だったって気づいた時の話
私が入学した時の校長と復学した時の校長は人が変わっていた。この校長もまた教頭と同様めちゃくちゃ熱血教師だった。
当時はまだフローランをスタートしたばかりで体調にも波があり、自宅で生活はできるし学校にも少しづつ通えるようにはなっていたけど落ち着いてはいなかった。
肺動脈圧もまだまだ正常とは言えず、ちょっとはしゃげば息切れがした。
命を繋ぎ、生活を支えていたのはフローランだった。
毎日背中に輸液ポンプを背負いながら生活をしていれば勝手に投与してくれる。
とはいえ、輸液ポンプは人の手ではなくめちゃくちゃな精密機械だ。
防水機能もついてない。
入院中であれば、何があっても看護師さんや先生が駆けつけてくれて何とかしてくれる。
1番怖いのがこの輸液ポンプが誤作動を起こした時のことだった。復学当初の時点ではまだめぐり合ったことのない誤作動によるアラーム音での警報
ラクダ先生には
『フローラン投与が30分以上止まると危険です。』
と忠告されていた。
もちろんこの話も学校側には伝えていた。
復学して1週間がたった頃にクマ先生が手作り&手書きの超絶分かりやすい
『これで安心!誤作動時のフローチャート!』
みたいなのを作ってくれた。
クマ先生は他の業務で忙しいのに、ラミネートまでして私のリュックサックのポケットを開けてフローチャートを入れてこう言った。
『モノちゃんのお守り入れといたからね!』
嬉しかった。
凄く嬉しかった。
アラーム音が鳴った時のことは話としてしか聞いたことがない。実際に起きたこともない。想像がつかない。でも、毎日周りの大人が怯えている。
復学して慣れてきた頃に母と妹は校長室に足繁く通い、クマ先生個人が作ってくれたフローチャートを基に学校側として改めてマニュアルを作りたいと言ってくれたことがきっかけだった。
鳴り響くアラーム音には数種類あったがどれも音は同じもの。アラーム音を確認したら瞬時に輸液ポンプの画面を確認して何に対するアラーム音なのか判別しなければいけない。
・ルートの閉塞(曲がり)による輸液ストップ
・輸液ポンプと注入パックの連結部分のズレ
・ルートの詰まり
・コネクタの詰まり
約17年の在宅持続静注療法の中で最も多く経験したのは閉塞による輸液ストップ。
鎖骨下から出るチューブを上の服の裾から垂らして輸液ポンプに繋げていたけど、背中を曲げたり変な姿勢になると知らぬところでチューブが曲がり閉塞させた。
校長は自らがまずは輸液ポンプの仕組みを学んでくれた。もちろん、ポンプ自体を操作したりすることは医療行為になるので原則禁止。
そこから、マニュアル案を作成し近隣の消防や総合病院への説明・緊急時の搬送依頼等
本当に何から何まで駆け回ってくれた。
1度だけ、私の通院にも同行してくれた。
ラクダ先生に聞きたいことや教えて欲しいこと、ラクダ先生の緊急連絡先について知りたいと
私たち家族と校長で診察室に入り、校長は熱心にメモを取りマニュアルに盛り込めるように情報を収集してくれた。
私の微かな記憶の中で、校長はラクダ先生に目を真っ赤にして涙をためながら
『モノちゃんには他の子どもたちとと同じように教育を受ける権利があるから、他の子どもたちと同じように安心して学校生活を送って欲しいんです。』
私は周りに恵まれているなと今でも思う。
ただ、なかなか進まなかったのは近隣の病院への説明だった。
何しろ、Theド田舎!!なのでそんな大きな病院がない。市内で1番大きな病院へ私も授業をぬけて同行して説明に行った。
大きな病院といっても、高齢者が多く通う病院。
小規模な小児科はあるものの小児循環器科はないし、小児循環器医もいなかったんじゃないだろうか。
小児科医に呼び出され、校長と母が説明したが病名を伝えてもなかなか伝わらない。
胆道閉鎖症は分かるけど、肺高血圧症がイマイチピンと来ないし、輸液ポンプを見ても仕組みは分かるけど取り扱ったことがないと言われた。
よく覚えているのは、今までの血液検査結果等の諸々資料を準備して持ち込んで目は通してもらったが、その日初めて会った小児科医に
『うちで救えるようなもんじゃない。』
と言われたこと。
まだ理解力が乏しかったので、救えるようなもんじゃない=死 を連想してしまい大泣きした。
この日初めて、自分が毎日お気に入りのリュックサックに背負っているのは本当の意味で物と化した 命 だということだった。