運動会で存在意義を見失った話
みんなより少し短い自然学校は何事もなく無事に終わった。
自然学校の後に行われた運動会
うちの学校は毎年5.6年生合同で組体操をするのがテッパンだった。
もれなく私の年もやった。
もちろん私は不参加。
リレーと組体操だけはどう工夫しても参加できる部分が何もない。
組体操の数ヶ月にも及ぶ長い長い練習期間、私は体育館の隅で律儀に体操服に着替えて出来そうなひとり技をやってみたり、みんなの大技を遠目で見守ったりした。
体育館での練習を終えて、ラストスパートは実際に運動場での練習になった。
みんな裸足で体操服を砂だらけにしてひとり技や、大技をキメては学年全体で喜びを分かちあっている姿を見ているのは正直辛かった。
同じ学年なのに、同じクラスなのに
みんなと喜びを分かち合うどころかハイタッチも交わせない
運動会の競技に参加できないなんて今に始まったことじゃないのに、その時だけは消えてしまいたいくらい辛かった。
何度か、ひとり技の部分だけ参加させてもらおうかと思ったが、運動場で真剣な眼差しで技をキメているみんなを見てそこに私が参加しても百発百中しっかり技をキメられる自信がなかった。
キメられなかったとき、みんなはしっかりキメているからこそ目立つ。
みんなの数カ月の練習を無駄にしてしまう。
やめよう。
せいぜい私は遠目から称賛の拍手を送ろう
そして、組体操が終わったあとみんなに声をかけよう
それくらいしか出来ない。
むしろ、それをしなければ運動会当日私の存在意義はなくなってしまう。
予定通り運動会ではみんなに称賛の拍手を送り、終わったあとに声をかけた
運動会なんてなくなればいいと思った。