死ぬほど取り乱した日の話
初めて訪れた病への葛藤
成長過程において避けては通れない話なんだろうと今考えたら思うけど、あの頃は自分でも何が気に食わないのか分からなかった。
フローランを始めて2年が経ち、何度か自宅で輸液ポンプが誤作動を起こしアラームが鳴ることがあった。
自宅で鳴っても母がいる。
母は医者でもないし看護師でもないけど、あの頃の自分の機械や病気に関することは全て委ねていたので、ラクダ先生と同じくらいの安心感があった。
でもいつもいつも都合良く自宅でアラームが鳴るとは限らない。
あれは確か、4年生の夏前こと
ドラ先生は午後から出張で代理で担任を受け持っていなかったシロ先生がうちのクラスを給食から終わりの会まで代理で見てくれていた日だった。
給食の配膳の時間。
私はその日給食当番ではなく、友達と教室であーでもないこーでもないと話していた。
『なんか音が聞こえへん?』
ある友達の一言で私は気がついた。
自宅で聞いたことのあるアラーム音が鳴っていた。
チューブの折れが原因かもしれないと思い、猫背になりがちだった背中をピンと伸ばした。
すると、音は止まった。
やっぱり折れが原因だったんだなと思い安心しきっていると、すぐにまた鳴り始めた。
今度は背中をピンと伸ばしても鳴り止まない。何をしても鳴り止まない。一気に血の気が引いた。
と同時に泣き叫んだ。
泣いている私にとってびっくりした友達が配膳をしていたシロ先生を呼び、シロ先生は直ぐに教室の緊急事態ボタンを押した。
残りのクラスメイトに給食を食べているように伝えて、私はシロ先生に支えられながらとりあえず保健室に向かった。
とにかくすごい勢いで取り乱して泣いた。
アラームがなっている間は投与が止まってることも
30分以上投与が止まれば危険だと言われていることも全部知っていたからこそ怖かった。
泣きながらひたすらに
『死にたくない』と口走った。
アラーム音=命のリミットを告げるものだと言っても過言ではないくらい恐怖だった。
ギャーギャー泣き叫じ、シロ先生と2人で保健室に向かっている途中、クマ先生に出会った。
シロ先生は言った
『ほーら、モノちゃん。クマ先生もいるんよ!みんないるから大丈夫よ!すぐにお母さん呼ぶからね!』と言って励ました。
『死にたくない』と口走りながらギャン泣きしている私を見てクマ先生も訳が分からなくてもただ事ではないと察知してくれて3人で保健室へ向かった。
保健室に到着すると、そこには校長教頭から他学年の先生までズラっと勢ぞろいしてくれていて、みんな片手には緊急対応マニュアルを持って私を待っていてくれた。
当の本人は泣くことしか出来ず、何とかリュックから取り出した輸液ポンプの画面表示とマニュアルを照らし合わせながら、どの対応をすべきなのかを話し合っていた。
そうすると、事務員さんが保健室へ来て
『お母さんと救急車こっち向かってます!!』と言った
この一言で私はもっと取り乱した。
救急車を呼ばなくちゃいけないくらいヤバいんだ。
鳴り始めてから何分経ったんだろう。
途中で30分オーバーして死んでしまったらどうしよう。
ラクダ先生も看護師さんも誰も
投与が30分止まれば死ぬとは言っていないのに
ただ、危険だと言っただけなのに
危険=死を連想していた私はまた
『死にたくない』と泣きながら連呼した。
そんな私を色んな先生が落ち着かせてくれた。
クマ先生は私の肩を掴み
『大丈夫。死なへん。大丈夫やから。と静かに目を見てひたすら言い聞かせてくれた。