いよいよいじめられたって話
時は流れて、私はついに6年生になった。
小学校生活最後の年
担任は数年前から居たけど接点は一切なかったけどいつも笑顔でいるなと思ってた女の先生(以下、ニッコリ先生)
変わったのは担任だけじゃなかった。
私は心不全で失神したあの日からお気に入りだったワインレッドのランドセルを持たなくなった。
正しくは持てなくなった。
今みたいにランドセル自体の重量が軽くなくて、何も入ってない状態でもなかなかの重量で、主治医先生にドクターストップされていたから。
その間、私はランドセルの代わりにナイロン製のリュックを背負ったり手提げのカバンで行ったり色々だった。
でも、どうしてもまたランドセルを背負いたいという想いが消えず主治医先生にお願いした。
置き勉をして極力荷物を入れないことを条件にランドセルが解禁された。
それと同時に、朝の登校班への合流も許可された。
今までは、登校班に混じってもみんなと同じペースで歩けないので登校班が出発したのを確認して、後を追うように幼稚園の妹とママと登校していた。
ゆっくり自分のペースで歩く条件で登校班にも合流して、オマケにママの校内付き添いも解除された。
ママが来るのは送り迎えの時だけになった。
やっと小学生らしい生活を送ることが出来た。
6年生でやっと。
この年、幼稚園だった妹も同じ小学校に入学した。
入学式では毎年、6年生が1年生の手を繋いで入場する。
出席番号順でペアになった結果まさかの姉妹で入場だった。
入学式の日、保護者席にいたママはうっすら涙を浮かべていたのを私は見逃さなかった。
6年生になったタイミングでかなり環境や学校生活が変わり、毎日が楽しくて仕方なかった。
でも、そんなにうまくはいかない。
6年生で私はただでさえ人数の少ない学年の半数以上からのいじめの標的となった。
それはそれは露骨で壮絶だった。
教室内の床に這わせている酸素吸入器のチューブを見ては
『気持ち悪い』
『病気が移るから会話したくない』
こんなの序の口
私にだけ給食が配膳されない日もあった。
席替えなんてした日には私が座ってい座席にも机にも、アルコールを噴射して家から持参したゴム手袋をつけて3人がかりで拭いていた。
私の身体の1部に手が触れようものなら、女子は半泣きで『バイ菌が身体に広まる』と嘆き
男子は絶叫した。
授業中に後ろからひたすら消しゴムのカスを投げられたこともあった。罵声や耳を覆いたくなるような暴言を吐かれながら。
担任のニッコリ先生はとても良い先生だった。
だけど、いじめに対しては鈍感な部分があった。
何度か話し合いの場を設けてくれたりして、次第に攻撃してくる子の数は減ったけど
それでも、卒業まで数人は私をいわゆる『バイ菌』扱いした。
辛かった。