リーダーさんとの話
バァバがくれたタクシー代で家から山奥の合宿所まで数時間で到着し、私とママはようやくみんなと合流した
私がみんなに合流する前に私、ママ、校長、キノコ先生の4人で少し打ち合わせをした
とにかく、はしゃぎすぎて無理をしないこと
具合が悪くなったら直ぐに誰かに言うこと
これだけは絶対に約束して欲しいと言われ、返事をしようやくやっとみんなと合流した
私が合流した時、みんなは自然学校の醍醐味と言えよう飯盒炊爨の真っ只中だった。
途中でやってきた私には役割なんてないことは分かっていたので傍で見ていることしか出来なかった。
みんなが作ってくれたカレーを外でみんなで食べたこと、あの味を私は一生忘れないだろう。
とんでもなく美味しかった。
自然学校には担任や学校職員の他に主に教育学部の大学生から成るリーダーさん(補助員)と看護学校の学生1名(養護教諭として)が引率していた
私がいない3日間でリーダーさんとの仲も深めたのだろう。私からすれば見ず知らずのお兄さんお姉さんに話しかけ仲良さそうに会話をし笑っているのを横目で見ながらこれが途中参加の運命だなと思っていた。
リーダーさんは教育学部の大学生
要は、教師の卵
私のことを恐らく担任から聞いていたのだろう、ちゃんと目にかけてくれた。
そのおかげで私も直ぐにみんなと同じように打ち解けられた。
そして、初日の夜
毎晩行われる終わりの会的な集会に私も当然酸素ボンベを引っ張って参加した。
その集会の最後に、みんなでダンス?体操?をするのがお決まりだったらしく音楽が流れた途端みんながとんでもなくテンションを爆上がりさせるからびっくりした。
私も楽しくなってみんなに続いてテンションは右肩上がり。気づけば絶対息切れ動悸がするような激しい体操をしていたし、無意識に酸素カニューラまで外していた。
キノコ先生も校長先生も少しくらいと思ってくれたんだろう。その日は何も言わなかった。
その間、ママは何をしていたかというと
在宅ワーカーだったママは家からPCを持ち込み、与えられた合宿のママの部屋で仕事して
同じく持ち込んだDVDプレーヤーで韓流ドラマをみていたらしい
晩ご飯の連絡やその他の連絡は、キノコ先生・校長・ママが持っていたトランシーバーでやり取りしながら生活していたらしい。
私とママが交わるのは自然学校中、薬の交換とお風呂の前とガーゼの交換の時だけ
それ以外は一切部屋から出てこず私の前にも現れなかった。
今だからわかるけど、それがママの気遣いだったんだと思う
そして、2日目の夜
初日同様夜の集会で踊るんだろうと思いながらみんなと練習したりしていた
友達と話していると、リーダーさん全員(4人)と養護教諭の学生さんが私の肩を叩き集会の場所と少し離れたところに呼び付けた
なんだろうと思いながらついて行くと
男性リーダーが
『モノ、今日はさ最後のダンス昨日より少しだけ抑えめにやってみーひんか?』
『めちゃくちゃ難しいと思うねんけど、モノならできると思うし、ほんのちょっと抑えめにやってもみんなとやるから楽しいよ!』
要は、全力でやると後がしんどいから抑えめにやってねということだ
まぁさすがにそう言うよね
と思いながら頷いた。
その日は私もカニューラを外さず、初日よりも断然控えめに踊った。息が上がらない程度に動悸がしないように。
終わったあと、リーダー全員が私をめちゃくちゃに褒めてくれた
『よくできたなー!』
『さっすがモノ!!』
『えらい!!』
自分の身体と相談しながらやっただけなのにここまで褒めてくれるとは思わなくて嬉しかった。