親愛なる



今日は家族でAmazonプライム見てました
どうも、モノです。


こうなったら意地でも外出せんぞ。
早く遊びに行きたいからこそ今は我慢じゃ。








小学2年生になる春
私は数ヶ月ぶり、いや、半年ぶりくらいかなもっとかな。自宅に戻った。親愛なる酸素ボンベと共に


ところで、私は小学1年生の2学期から学校へ行っていない。欠席すると、どこの学校も欠席連絡が来る。(今はLINEとかなの?私はプリント世代)


入院中も当分は来ないであろう私のために、クラスメイトが毎日日替わりで書いてくれていた。
その日の時間割や明日の持ち物、私へのメッセージ、授業で使ったプリント


母が面会に来る日は必ず持ってきてくれて私は喜んで読んでいた。もちろん、授業で使ったプリントも。


いつだったか、病室のベッドの上で同封されていた授業プリントを広げて勉強してみようと思った時があった。


さて、算数のプリントでもやろうか。
どれどれ…………………………


分からなかった。
計算が分からないとか、途中式がとかのレベルではなく問題文の意味が、何を問われているのか、何を答えればいいのか何も分からなかった。


当時の私は思わず心の中で
『これ多分、外国語のプリントでは?』と思った。
そんなことあるわけないのに。


私の学力は小学1年生1学期ほどで止まっていた。
当時は院内学級もなく、学校の計算ドリルに取り組んだりした。


それでも解けるのは1学期に習ったページだけ。
1年生の1学期なんてせいぜい数の概念をちょっとかじるくらい。国語はひらがなと音読をするくらい(だったと思う)


そうこうしてるうちに、生命の危機の直面しとてもじゃないけど勉強どころではなかった。
みるみるうちに学力は低下していった。


そして、迎えた転院先への初診日。
あんまり覚えていないけど初めて行った大学病院のデカさに衝撃を受けた。


あと、その日は何故か診察室ではなくカンファルーム的な部屋に呼ばれた。
父、母、私、妹家族総出で出向き、カンファルームM先生の医学部時代の先輩だか後輩だかを待った。


そして、やってきた。
K先生と隣にいたのは看護師のような女性だった。


後々、知ったのだけどK先生は小児循環器科ではなくて小児移植外科の先生で隣の女性は移植コーディネーターさんだったらしい。


話し合いがスタートしたが、聞いても当然分からないし私はゲームをしていた。


話し合いの内容的には
胆道閉鎖症の治療として必要なのは生体肝移植だけれど、今の時点でオペをするのはリスクが大きすぎるしオペ中に命の危機に直面することも有り得る。
そこで、まず最優先すべきは肺高血圧を落ち着かせることだと思う。そのためには小児移植外科ではなく小児循環器科メインで治療を進めていく。もちろん、小児移植外科にも定期的に通院してね。


という内容だった(後日聞いたよ)

その日は、小児循環器科の初診日を決めてお開きとなった。


小児移植外科との話し合いの日からそこまで日が経たないうちに小児循環器科の初診日となった。


この日は普通の診察のように待ち、呼び出し機が鳴り響き、診察室へ入った。
そこに居たのは、小学2年生から高校1年生になる春まで診てくれたラクダ先生がいた。
(顔がラクダっぽいからラクダ先生って呼んでた)


私はこの時点で、前病院のM先生とそこにいた唯一の小児循環器科の先生に肺高血圧症の飲み薬を処方され何度か飲んでいたことがあった。


だが、なかなか身体に合わず突然飲んだ直後に
『胸が苦しい!!』と泣く始末。
会わなさすぎだろマジで。


母はおそらくこの話をしたんだろう、ラクダ先生はその日のうちに入院日を決めてしまった。
この時はまだ聞かされていなかったけど、ラクダ先生は両親に在宅持続静注療法を提案したらしい。


当時はまだまだ内服薬の種類が少なく、薬物治療の他に在宅持続静注療法があった。

在宅持続静注療法とは、細いカテーテルを鎖骨下の静脈から挿入するもの。
要は腕の点滴の胸バージョン(ざっくり)


点滴のルートは胸から出て、繋がる先はシリンジポンプではなく携帯型輸液ポンプ。


兎にも角にも、心臓カテーテル検査(通称:心カテ)をして肺動脈圧を測定しないとなんとも言えないとなり、入院を決めた。


心カテで薬物治療では改善が期待できないような数値であれば在宅持続静注療法を始めること。
初めての在宅持続静注療法はすぐにオペして退院できるようなものではないこと。
心カテで在宅持続静注療法が必要と判断すればまずはお試し期間として薬液を抹消の静脈から流して様子を見る必要があること。


そして、何よりまだ小学2年生の本人には難しすぎる今で言う医療的ケアを両親がマスターすること。


課題山積みの心カテ入院を取り決めた。
ちなみに、医療的ケアを本人が完璧にできるようになったのは中2です(遅い)











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