きょうだい児である妹の前撮りをした話
過去を振り返ってる途中ですが
2021年に新成人の仲間入りする妹の話
今日は妹の前撮り
特に何も感じず、家族写真を撮るために私も同行して母と2人で着物を着せてもらい、写真館で妹のヘアメイクと着付けが終わるのを待った。
姉である私の成人式と言えば、まだ在宅静注療法のために点滴を繋げていた。
周囲の友達が前撮りだのヘアスタイルだの目を輝かせながら話をしているのを横目に 振袖を着ることが出来ない という現実を突きつけられていた。
点滴のルートが垂れ下がっている以上、帯を締めることも着物の裾からチューブを出すことも出来ない。
どう考えたって不可能だった。悲しいけれどこれが現実。
当日はカジュアルなスーツで行こうと決めた。
振袖や前撮り、ヘアスタイルの費用がかからない分スーツや小物類に両親は惜しみなくお金を出してくれた。
憧れのブランドのジャケットを着ることも出来た。
あれはあれですごく嬉しかった。
会場ではかなり浮いていたけど、あれが私の成人式。
それに、どうしても1回は着たいと想いを伝えると制限時間1時間弱の約束で振袖ではなく袴にして短大卒業後に後撮りをさせてくれた。
両親は写真館のプランにあるアルバムを作ってくれた
本来なら私が振袖を着ているので前撮りの準備や段取りも分かるはずだけど私が未経験のため今回の妹の前撮りが初
右も左も分からないままだった。
私と母が着付け終わり、妹の着付けを待っている間は何も思わなかった。
写真館のスタッフさんに
『お嬢様のご準備が整いましたのでご対面となります。』と言われて妹が待つ場所まで父母私で行った。
そこには白いカーテンが付けられていて、カーテンの奥に着付けもヘアメイクも全て終わった妹が待機していた。
スタッフさんの
『それではご対面です!』という声でカーテンが一気に開いてそこには綺麗に着付けられ、髪を上げた妹がいた。
どうしてか、私が泣きそうだった。
父も母も感慨深い表情をしていた。
きっとそれは人一倍苦労をかけたからだと思う。
つい最近まで同じ屋根の下に住んでいたお姉ちゃんがある日突然失神して救急車に乗せられて姿を消して、約半年家族揃って食事をすることも出来ず、ただ帰りを待っていた妹
退院したものの、小学校の空き教室で夕方まで何もすることなく待たされる毎日
夜中にお姉ちゃんが泣き出したかと思えば救急車に母と2人で同乗し、そのまま入院するのを見送って母と2人で早朝に始発で家に帰った妹
毎日のように通った大学病院
病棟に着くまではママと二人きりで居られるのに、着いた途端病棟前の何も無いベンチで丸一日1人で待ちぼうけ、悲しみにくれた母と2人で電車で2時間半かけて帰宅していた妹
お姉ちゃんが宿泊学習に行くたびにバァバと二人きりになった妹
病児本人には本人しか分からない辛さがあるけれど、きょうだい児にはきょうだい児にしか分からない辛さがある。
きっと妹は20年間我慢し続けていたんだと思う。
もっとママにこっちを向いて欲しい
もっと見て欲しい
きっとそう思っていた。
妹がすごした20年間を思うと、寂しい想いをさせてしまっていたんだなと思う。
きっと本人はそうは思ってないかもしれない。
それでも少し私は罪悪感を感じる。
きっとこの罪悪感はこの先もなかなか拭えないと思う。
それでも私は妹の姉になれて良かったと思うし、姉にさせてくれてありがとうの想いでいっぱい、
そして、声を大にして言いたい。
間違いなく、うちの妹が世界一可愛い。