自分のことを初めて憎いと思った日の話
初めての抜去事件はあったものの、無事に4年生を終えていよいよ高学年と呼ばれる5年生になった。
5年生といえば一大イベントの林間学校
私はこのイベントを他の誰よりも心待ちにしていた
だって、家でも学校でもほぼずっと一緒のママと離れて生活できるから。
ママが嫌いだったとかではなくて、自立に繋がるしとにかく楽しみにしていた。
そんな5年生の担任は、例年のごとく春休みに呼び出されてフライングで知るんだろうと思っていたがその年の春休みには呼ばれなかった。
初めてみんなと同じタイミングで知ることになった。
理由は、異動してきた先生だったから。
始業式での担任発表の時、終始驚きと不安が止まらなかった。
市内の公立小学校から異動してきた先生(以下、キノコ先生)
年齢的には教師生活も長く頼りになりそうな感じだった。
担任発表が終わり、校長の話を聞いていた時音も立てずに私のそばに来て「1年間よろしくね」と声をかけてくれた。
その時の優しい笑顔を今でもよく覚えている。
その日からママとキノコ先生は今までのことや今後のこと、もちろん林間学校のことも含めて毎日のように話し合いをしてくれた。
こうして、家から近いとは言え何度も学校まで足を運び話をしてくれるママに申し訳ないなと思いながらも林間学校の間はいつも忙しなく働いてる分ゆっくりしてもらって自立した自分になって帰ってきてママを安心させよう。そう意気込んでいた。
まずは、毎日の薬液の調合と交換を練習しないとなぁなんて思いながらママから練習の声がかかるのを待っていた。
だが、その日が待てど暮らせど来ない。
早く練習して林間学校までには全ての医療的ケアを完璧にしたいのにと思う私を横目に学校では林間学校のプログラムや班決めなど着々と準備が進んでいた。
5泊6日の林間学校
半分は海辺での課外活動
もう半分は山での課外活動だった
何かの拍子に衝撃的な事実を知らされた
私の林間学校は
・5泊6日→2泊3日に減ること
・海辺での課外活動は参加NG
・後半の山での課外活動からの合流になること
・2泊3日の全日程ママが同行すること
本当に衝撃だった。
遠足や社会見学にママが着いてきたことは何度かあったけど、それも4年生からは一人で行くようになっていたからてっきり林間学校も1人かと思っていた。
もちろん、猛反論した
言うまでもなく変更はできないと言われた
この条件でないと参加自体できないとも言われた
悲しいやら情けないやら
涙も出なかった
生まれた時からこの身体で、周りの子達と違うのは分かっていた。受け入れていた。
それでも、復学してみんなと一緒に学校生活を送れているから不満なんてなかった。
むしろ、幸せだった。
この時ばかりは不満を感じたし、怒りでもなく悲しみでもない謎の感情が生まれた。
学校では班ごとに前半の海辺での課外活動について話し合う日が連日のように続いた。
あの時間は本当に苦痛だった。
もちろん、自分の名前は班にあるけど話し合いに入れない。
トイレでこっそり泣いたりもした。
私がどう足掻いても条件は変わらず、参加自体できないと言われると身動きが取れないので指示通り2泊3日の林間学校で了承した。
そして、出発の日の朝
宿泊を伴う行事は必ずと言っていいほど出発式とやらを学校でやってから出発する
もちろん、林間学校もそれがあった。
みんな、親と一緒に大荷物を持って学校に集合して興奮した様子だった
当の私は、後半2泊3日からの合流になるのでこの日は出発しない。
手ぶらで出発式に参加するという苦行だった
出発式への参加も躊躇った。
でも、友達が気遣ってモノちゃんに見送って欲しいと言ってくれた。
バスに乗り込む直前キノコ先生は私に
『向こうで待ってるからね』と言ってくれた
一通りの注意事項や校長の話を聞いたあと、みんなはバスに乗り込んだ。
私ほそれを眺めていた
泣きそうだった
でも、ここで泣いたらいけない。
みんなは今から最高の出発を迎えるんだからクラスメイトが一人残って泣いていたら台無しにしてしまう。
そう思いながらグッと唇を噛み溢れそうな涙を堪えた。
みんなにできる限り笑顔で手を振って見送った。
バスが見えなくなった瞬間その場に崩れ落ちて涙が止まらなかった。
何が楽しくて学校に残ってるんだ私は。
憎かった。
ただただ自分の身体が病気が障害が全てが憎かった。
出発式は他学年の先生も覗きに来てくれていてその中にクマ先生もいた。
クマ先生も他学年の先生もいるのに、感情的に声を上げて泣いた。
しゃがみこんで泣いた。
『行きたい!!今からでもいいから行きたい!!海の活動もしたい!!みんなとずっと一緒がいい!行きたい!!』
とにかく泣きながら行きたいと訴えた。
『みんなと一緒がいいに決まってるよな。行きたいな。海行きたいよな。モノちゃんはえらいよ。辛いな。苦しいな。我慢してえらいな。』
とクマ先生は背中を擦りながら励ましてくれた。
これも幼稚園児の時の写真笑↓