冗談はよしこさん
肺高血圧症のお薬による副作用で鼻づまりがすごいです。
どうも。モノです。
鼻が蛇口化するんです。ほんとうに
粘度のある鼻水じゃなくて水のような鼻水が滴り落ちてくるのです。
花粉症ではありません💁♀️
カンファルーム
それは患児の親、若しくは本人がそこに呼び出されあんまり嬉しくない話をされる場所だと私は認識しています。私はね。
あの日も、父と母はカンファルームで
『いつでも連絡が取れるようにしておいて下さい』と宣告を受けていたことは当時の私はもちろん知らなかった。
どうやら、肺炎がただの肺炎ではなく結構厄介な
間質性肺炎だったらしい。
昭和の歌姫で知られる美空ひばりさんが亡くなった要因となった間質性肺炎だ。
いまいち普通の肺炎との違いを分かっていないけど、相当厄介な状態だったらしい。
これは自分の憶測に過ぎないけれど、前述したお昼寝ももしかしたら昼寝ではなくて気を失っていたんじゃないのかな。
現に、目が覚めると必ずと言っていいほどSpo2モニターが繋がれていたし酸素マスクをつけていた気がしなくもない。
とにかく、その日以降母は妹を完全に祖母の家に預ける若しくは祖母に来てもらって一日中子守りをしてもらうのどちらかで対応し朝から晩まで私に付きっきりだった。
父も仕事終わりに家とは真逆の方向にある病院に面会時間がとうに過ぎた時間に来ては看護師さんに頭を下げ面会に来て母と合流した。
父と母は毎日のようにこうして私が夜、眠りにつくまでそばにいてくれた。
たとえ、それが私の具合が悪すぎて不機嫌MAXの日でも。
そして、ウトウトしながら薄目を開けると母は父の横で毎日のように泣いていた。
そんな地獄のような日々が続いたけれど、私は何とか持ち直した。
レントゲン等では間質性肺炎は認められないところまで来てはいたが、なかなか本人の息切れ具合と倦怠感が取れない。
もう一度入念に検査した。
めちゃくちゃ検査した。
ひたすら検査した。
そして、判明した。
間質性肺炎から肺動脈性肺高血圧症になっていたこと。
胆道閉鎖症の合併症で肺内シャントを起こす可能性は無きにしも非ずだとは昔から言われていたようだが、肺高血圧症なんて初耳だったらしい。
この時点で胆道閉鎖症の合併症として発症していたのは門脈圧亢進症のみだった。
どうやらこの門脈圧亢進症が肺血流異常を引き起こし、肺高血圧症という極めてめんどくせぇ(言うな)病気まで連れてきたらしい。
要は、胆道閉鎖症が門脈圧亢進症を誘って門脈圧亢進症が肺血流異常も誘い、肺血流異常が肺高血圧症に連絡を取りみんなで飲みに行ったとでも言おうか。(何言ってるの私)
微かな記憶だけど、何をするにもあの頃は倦怠感と息切れがあった気がする。着替えもトイレも歩行も。
そして、M先生Y先生から再度例の部屋(カンファルーム)でのお話があった。
「このままの状態ではとてもじゃないけど、肝移植なんて出来ません。オペ中に命を落とす危険性だってあります。まずは、肺の動脈圧を下げることを最優先としましょう。」
肺高血圧症とは名前のごとく肺の血圧が高いということ。なかでも、動脈圧の値がかなり重要になるらしい。
ただ、この時点でみてもらっていたM先生もY先生も肝臓専門。要は、小児外科医だ。
肺高血圧症は小児循環器の部類らしく、当時の病院には小児循環器の医師が少なくここで診るのは厳しいと言われた。
そもそも、移植外科もない。
はなから移植が決まれば移植外科のある大学病院へ転院してもらうつもりだったらしい。
その転院時期が肝移植とはまた別の案件で早まったというだけだ。
M先生の医学部時代の先輩だか後輩だか同い年だかが近隣の大学病院数箇所にいるから紹介状を持って本人が落ち着いたらすぐに行った方がいいと言われた。
転院先の候補は2つほどあったらしいが、家からの距離を考え某大学病院に決まった。
転院するまでに自宅での生活に慣れることもまた、最優先事項だった。
肺高血圧症になった段階で在宅酸素療法は確定していて、酸素吸入器の業者さん等とやり取りしながら家に酸素濃縮器を設置したところまではトントン拍子で進んだ。
酸素濃縮器も設置できたことだし、一日だけ外泊許可出すからおうち帰っていいよと言われた。
嬉しくなかった。
恐怖。
その一言に尽きる。
3ヶ月以上病院にいて、モニターだの酸素カニューラだのに繋がれて何かあれば看護師さんやM先生がすっ飛んできてくれるこの環境から自宅に戻れと?冗談はよしこさん。くらいの勢いだった。
でも、いつかは退院して家で生活しなきゃいけない。
学校にだって通わないといけない。
どこかで腹を括らねば。
色んな人の説得の甲斐あって私は腹を括り家に戻った。
初めての外泊
酸素吸入を始めてから初めての外
初めての外泊はものの数時間で終わるなんてこの時夢にも思ってなかった。