咳き込んだら床が血に染った時の話
これまでずっと肺高血圧症メインで書いてきたけど今日はダブルな内容
胆道閉鎖症になってから数年してから門脈圧亢進症になっていた私は肝臓を迂回した血液が食道の壁内を通る際に生じる食道静脈瘤ができていた。
幼少期は胆管炎と同じくらいのペースで下血したりもしたが、年齢がおおきくになるにつれて落ち着いてきて年に一度の胃カメラでの確認だけで終わっていた。
胃カメラを通して破裂しそうな食道静脈瘤が発見された場合には硬化療法を施す。
小学生になってからはそこまでの治療をするほどの食道静脈瘤は発生しておらず様子見だった。
それでも、日常生活では細心の注意を払っていた。とにかく、極端に硬いものを食べない。
食道静脈瘤が破裂したら大量吐血してしまう。
そうならないためにおせんべいとかじゃがりことか禁じられていた。
3年生の冬
あの日は二学期最終日だった。
いつも通り、みんなで給食を食べたあとの事だった。
その日の給食は確か、焼き魚が出ていた。
給食用の焼き魚だから大きな骨は取り除かれているが小骨はまだ残っていた。
私はいつものように注意深く確認しながら食べた。
特に骨だなと思うようなものを口に入れた感覚もなく、給食を終えた。
給食後のお昼休みも友達といつも通り室内で過ごし、学期末の大掃除の時間になり異変は起きた。
何だか口の中が不味い。
トイレへ駆け込んだ唾液を吐き出すとそこには血混じりの唾液があった。
一気に血の気が引いた。
慌てて誰にも言わずに母のいる空き教室へ携帯用酸素ボンベを引きずり走った。
母に伝えると口内を確認してくれた。
『なにこれ!血がついてる!』と驚いた様子だった。
一気に怖くなって大泣きする私を置いて、母が走って教室へ戻り担任へ早退することを伝え荷物を取って戻ってきた。
そのままその日は早退した。
家に帰る道中では吐血したり咳き込んだりも咳き込んだりもせずに無事に帰宅。
とりあえず、様子を見た。
私はうたた寝してしまい、目を覚ますとむせこんだ。
下を向いて咳き込むと床に血が飛び散った。
それを見た母は悲鳴をあげながらも、食道静脈瘤のみを継続でみてもらっていた前の小児総合病院のM先生に連絡した。
母が聞きたかったことはただ1つ
どちらに搬送すれば良いのかだった。
M先生は悩んだが、今の肺の状態や心臓の状態を知っているのは大学病院だから直ぐに救急車を呼んで搬送してもらいなさいと言われた。
母が電話してる間も咳をする度に床に血が飛んだ。大量ではないけれど真っ赤な血が床を染めた。
すぐに救急車を呼び片道2時間半ほどあるが理由を説明して搬送してもらった。
救急外来に着くとラクダ先生が待機してくれていた。
そのままレンドゲンを撮った。
肺に白い影がある。そう言われた。
ただ、肺炎の影ではない。
要するによく分からない影だった。
もちろんそのまま入院。
トイレ以外ベッドから降りちゃダメだと言われ絶対安静を命じられた。
その日は仕事終わりの父が母と妹を拾って帰り、次の日からまた付添入院の日々が始まった。
定期的にエコーしてレンドゲン撮って影が消えるまでとにかく絶対安静だった。
結論、原因はわからず影は年を越すギリギリに消えた。その年のクリスマスは院内で過ごし、サンタさんも1日遅れではあるが来てくれた。
激動の年末を過ごし、年が明け私は4年生になろうとしていた。
例にもよって、春休みに学校に呼ばれフライングで担任を知った。小柄な男の先生だった。(以下、ドラ先生)
この年から、母の付き添いがジワジワと少なくなった。午前中だけとか午後だけとか。
午前中は学校にいて午後からは家にいて下校になると迎えに来てくれた。
学校生活にも自由が効くようになった。
ドラ先生と過ごした1年間は自分の人生において1番楽しくて悲しくて成長できて、何より自分が病気であることをようやく認められた1年だった。
4年生になった私はこの頃から途方もない疑問に悩まされていた。
どうして私は病気なんやろう
いつまで酸素してたらいいんやろう
いつになったら元気になるんやろう
考えても答えの出ない疑問に悩まされた。
悩まされているうちに自分が今持っている酸素ボンベも輸液ポンプも邪魔だと思い始めた。
邪魔だと思い始めると扱いが雑になった。
今までは片時も鼻から外さなかったカニューラも隙あらば外して自由に動き回った。
ドラ先生はそんな私を見ていつも
『モノちゃん。酸素どこやったの。』
『モノちゃん。鼻から外れてるよ。』
『モノ、そんなに乱暴に扱ったら壊れるよ。』
と注意してくれた。
そんな先生が嫌いだった。
酸素がなくてもある程度は動けるし息苦しくなったら自分からつける。ずっとつけてる事に嫌気がさしていた。
ある時、いつものように携帯用酸素ボンベを引っ張っていると何かに車輪が引っかかり私は乱暴に無理やり引っ張った。
その衝撃で車輪のネジが外れてしまった。
腹が立ってカニューラを鼻から外し、足で隅に置いておこうと思った時勢い余って蹴り倒してしまった。
その一部始終を黙ってじっと見ていたドラ先生が遂にブチ切れた。
『いい加減にしろ!大事な機械やろ何が気に食わんのや!』
復学してから初めて本気で叱られた。
泣いた。
何が気に食わないのか、どうして自分の命を繋いでくれてる機械を乱暴に扱うのか自分でもよくわからなかった。
初めて自分に訪れた病に対する葛藤の期間だった