理不尽な説教を受けて入院した話



私が3年生の終わりごろ、市から雇用された介助の先生がついてくれた。
通っていて学校には支援級があった。



私は、支援級には在籍しておらず普通級だった。
学校には私を含めて医療的ケアが必要になる児童は2人、知的障害の児童が数名、肢体不自由の児童が数名いた。


介助の先生がつくまでは、知的障害の児童にのみ支援級の先生がついていた。


特に自分では必要と思っていなかったけど、不便だと感じることは学校生活の中でいくつもあった。


移動教室や体育の時の着替え、その他色々と大人の手を借りないとキツい場面があった。


そんな時に介助の先生が就任すると聞いて嬉しかった。


ただ、介助の先生がついてくれたことによって起きた問題もあった。


要は、私の見えないところで言い方は悪いが口の立つ児童が介助の先生に対し暴言を吐いていた。


先生として認めておらず
「あんた、誰」
「先生ちゃうやん」
「ただのお手伝いやん」


こんなことを言われていると梅雨知らず、私は私で先生が自分に付き添ってくれたことが嬉しくて完全に悪い意味で甘えきっていた。


何もかも自分でやろうとはしなかった。
階段の時に酸素ボンベを持ってもらうのは出来ないから当然にやってもらった。
でも、普通に移動するときでさえも先生に持ってもらったり

しかも、この時ドラ先生が体調を崩し入院し担任代理として教頭先生がクラスを引っ張ってくれていた。


担任が一時期変わり、教室には介助の先生がいて
授業に対しても中学受験組や塾通いを始めた組が文句を言い始めほぼ学級崩壊に近かった。


教頭先生はある日ブチ切れた。
学級崩壊に近いクラスの児童全員を叱責した。

私は怒り狂っている教頭先生を見ても、全然自分には関係ないと思っていた。


教頭先生が怒り狂った日から数日が経ち、校内放送で教頭先生が自分の名前を呼んだ。


空き教室に来いと呼ばれ、言われた通り空き教室へ向かいドアを開けるとそこには畳のスペースに胡座をかいた教頭先生がいた。

怖かった。
見るからに怒っていたから。


「こっち来い。」
と手招きされて畳のスペースに靴を脱いで座った。

じっとこちらを睨みつけたまま沈黙が続き、
「なんで呼ばれたか分かるか。」と言われた


全然わからなかった。
心当たりもないし呼ばれる意味もわからない。
「わからん。」吐き捨てるように言ってしまった。

そこから長めの説教が始まった。
要は、態度が悪い、甘えすぎだということだった。
自分に出来ることはみんなと同じようにやりなさい。
介助の先生が全部当然にやってくれると思うのはやめろ。
出来なさそうでもまずは自分でやってみろ

声さえ荒げなかったものの、父以外の男の人にサシで睨みつけられながら静かに叱られたことが怖くて泣いた。


「次、先生の耳に入ってくる話が今と変わっていなかったら本気でもっと怒るぞ。分かったな。」と言われその日は終わった。


何だかモヤモヤした。
甘えきっていたことは反省する。
態度が悪い、まずは自分でやってみろ
出来ないことがあるから介助の先生がついてくれてるんじゃないの?と思ったりもした。


この日教頭先生にサシで叱られたことは両親に話さなかった。


この日以降、私は介助の先生そばにいても全て自分でやるようにした。


態度が悪いと思われてないかビクビクしながら学校生活を送った。


体操服に着替える時も本当は輸液ポンプを持っていて欲しい。でも、態度が悪いと思われるかもしれない。自分でやろう


階段を登る時に酸素ボンベを持つの重いし、持って欲しい。でも、自分でやってみないかんから自分でやろう。


体育の後に酸素ボンベの車輪に着ついた砂利を拭かないといけないけど1人じゃできないから手伝って欲しい。でも、それくらい自分でやれって思われるかもしれない。教頭先生の耳に入るかもしれない。自分でやろう。


1人で全てやろうと奮闘する姿を見た教頭先生と介助の先生は嬉しそうだった。満足気だった。


先に言っておく。
校内輸液ポンプアラーム騒動の時は教頭先生を好きだったけど大嫌いになった。


色んなことを自分でやるようになり、言うまでもなく体力を今までよりも使うようになった。


結果、4年生の冬に3年生の時と同じように血混じりの痰を出して入院した。


その時に血液検査をしてみると、疲労が溜まっているのではないかと指摘された。

そりゃそうだ。
今までは介助の先生にやってもらっていたこと全部自分でやり始めたんだから。

めちゃくちゃ重たい酸素ボンベを担いで階段を昇って降りて移動して
体育の授業に遅れないように大急ぎで着替えて駆け足でグラウンドへ向かって

ぶっちゃけ、教頭先生に叱られた後は介助の先生がいてもいなくても同じだった。


介助の先生が「酸素持つわね」と言っても本当は心の奥底で態度が悪いと思っているかもしれないと思うと、すかさず「いや、自分でやるよ」と言いボンベを担いだ。


その姿を見ながら介助の先生は
「自分で出来るんやね。成長したねー」と言って満足気だった。


あの時も今も意味がわからない。
こんな言い方すると悪いけど、私の出来ないことを手伝ってくれる介助してくれるのが仕事じゃないの?


隣で立ってるなら、別の支援級の子につけばいい。
教頭先生と介助の先生が裏で繋がっていたおかげで気を遣う日々を送った。


介助の先生は2人いたが、もう1人は本当に良い人で懸命に介助してくれた。

教頭先生と裏で繋がっていた介助の先生は程なくして離職した。



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