運動会に参加した話


いじめ問題が少しだけほんの少しだけ落ち着いた頃にはもう季節は既に秋口だった。



小学校生活最後の運動会
1年前と同様に組体操やリレーの競技練習が始まった。


毎日毎日律儀に体操服に着替えて、体育館やグラウンドの隅でじっとただみんなを見つめていた。


この頃にはもう、自分もやりたい!とかみんなだけずるい!とかどうして私だけ!!とかそんな感情はなくなっていた。


無の境地とはまさにあのことだと思う


そんなことを思ったって、口に出したって、無駄だから。


ひたすらみんなが練習してる姿を見つめて
みんなが笑いあって喜びを共有している姿をただ黙ってひたすら見つめていた。


そんな時、ニッコリ先生がとんでもないことを言い出した。



『モノちゃん!組体操クライマックスのタワーだけ参加しよか!』


正直、何を言っているのか理解できなかった。
もっと言うなら少しだけ腹が立った。


私が何年も何年も我慢してたことを、いとも簡単にたった一言で実現できると思っているのか?
だったら、なんで今までそうしてくれなかったんだ。


モヤモヤしたし私は参加する気はなかった。
1度は断った『やめときます』とだけ


ニッコリ先生は私を半ば強引にグラウンドの中に連れていき、クライマックスの4段タワーの中段のポジションを私に与えた


私の背中の上に色んな子の足が乗ってどんどん重くなっていくのが分かった。


先生の笛の音で1番てっぺんの子が乗ったことを確認して、私は空を見上げた。


そこには、青空の下で高い位置で胸を張って凛々しい顔をして立っているてっぺんの子がいた。


鳥肌がした。


人間の身体だけでこんなタワーが作れるのか。
しかも私もその1部になれたんだ。


嬉しさと後ろめたさと色々入り交じった。


でも、こんなのやっていいわけがない。
主治医先生に確認をとると


『そこだけね。ラストイヤーだから特別だよ』


と言って拍子抜けするくらいにはスンナリと了承してくれた。


ニッコリ先生は、クライマックスだけでは飽き足らず私をスタートから途中までの1人技オンリーのパートへの参加も求めてきた。


浮き足立っていた私も快諾した。


約1ヶ月間、生まれて初めてみんなと同じグラウンドに立ってみんなと同じことをした。


嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
小学校生活最初の運動会前日に心不全を起こした私が
小学校生活最後の運動会で返り咲いた


みんなと同じグラウンドで同じことをするのはもう二度とないと思っていた。


本番当日


いつもはママとパパに運動会だけは来なくていいと言っていた。(それでももちろん来てました)


でも、今年は違う。
ママとパパに他の保護者と同じようにカメラを持たせてあげられる。
グラウンドにカメラを向けるという当然のことをやっとさせてあげられる。


バァバにも孫の晴れ姿を見せてあげられる。
当時使いこなしまくっていたケータイで写真を撮らせてあげられる。


組体操は運動会のフィナーレ競技


いよいよその時がきた


いつも遠巻きで見守っていた学年で組む円陣に入れて貰えた。
もうこれだけで涙が出そうだった。


入場はみんな走るから、私はみんなが入場し終わったあとに横から歩いてシレッと入ることになった。


みんなが入場し終わり、歩いてシレッとポジションについた。


本番が始まると無我夢中で1曲丸々1人技オンリーパートをやり遂げた。
なかなか出来なかったV字バランスもその日は成功した。


1曲が終わるとシレッとグラウンド外に退場


そしていよいよ、例のクライマックスのタワー


再び私はシレッとポジションにつき4段タワーの中段としてみんなの重みを感じながら成功を祈り無我夢中でタワーを組んだ

先生の笛の合図で顔を正面にあげると、たくさんの拍手をもらった。タワーを組んでる途中は無我夢中すぎて気が付かなかったが顔を上げた先はちょうどそこが敬老席と保護者優先カメラスペースだった。


そこには涙ぐむバァバとデジカメ片手に泣いてるママと、一眼レフ片手に肩を震わせているパパがいた。


近くの児童席には当時1年生だった妹も私に向けて拍手を送ってくれた。


グラウンド外に万一のために置いていた携帯酸素ボンベをセットしたままで競技をして退場する度にチューブをつけて参加する時は外してを繰り返すことが今回の条件だった。


走って退場するみんなより一足先に足早にグラウンドから出ようとした時、そばにいた他学年の先生がセットしていた酸素カニューラを私に渡してくれた。


カニューラをつけてグラウンド外に退場した時、他学年の保護者や敬老席、来賓席から拍手が沸き起こった。


みんなに向けての拍手だと思った。
でも、来賓席にいた方の
『素敵よ!!!頑張ってたね!!』の一言を皮切りに四方八方から私への労いの言葉が飛んできた。


『モノちゃん!頑張ったね!』


『モノちゃんはすごい!』


涙が溢れた。
溢れて溢れて止まらなかった。


約5年前のこの日はきっと、病棟のベッドでわけも分からず入院していた自分が時を超えて5年後に運動会の一部に参加出来た。


間違いなく、私は世界で1番幸せ者なんだ。


そう思いながら運動会を終えた。



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