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サードアイ ep19 他者への祈り

 王位奪還計画が無事成功して、四次元世界は大きな転換期を迎えていた。異次元上昇計画の最終ステージといったところだ。
 軍内部の大幅な組織変更とそれに伴う人事異動があり、俺はファイアーレッドアイの特殊能力と今回の活躍が認められて、軍の中枢部に配属されることとなった。
 ヒノエが回復して初めての軍法会議が行われた。彼女は変わらずに眩しさを放ちながら、きびきびと指令を出していく。頭の中にはすでに異次元上昇のシナリオが完成されていて、あとは全ての計画を実行に移すだけのようだ。
 ヒノエが会議の最後に檄を飛ばした。
「諸君の奮闘のおかげで、我々の計画はいよいよ大詰めとなりました。あとは、救うべき魂を優先的にこちらに引き上げて、新世界への礎となるべく、この星を理想郷に近づけていく。それと同時に、三次元世界の歴史的な分岐点において、結果の異なる並行世界を形成し、陰陽の世界に二分する。最終局面としては、こちらとあちらの世界を統合し、壮大な次元上昇につなげていく」
 ヒノエは幹部全員をぐるりと見渡して一呼吸置くと、くいと顎を引き上げた。
「最終局面に向かうには、まだまだ、なすべきことが多く残されています。しかしながら、三次元世界の寿命は多くは残されていません。宇宙時間からすれば一刻の猶予もない状態なのです。この世界を異次元に昇華させるか、終焉を迎えさせるかは、我々の働き如何にかかっています。各自、命を懸けて取り組むように。以上」
 彼女の頭の中にある絵図は、おおまかではあるが皆に共有された。しかし、肝心の、次元上昇を実現するための動力の話は伏せられているようだった。
 俺は幹部の連中が退出するのを見送ってから、ヒノエに話しかけた。
「もう身体は何ともないのか」
 ヒノエは大したことはないというふうに、「ええ」と軽く答えたが、
「そういえば、あなたが私を運んでくれたらしいわね。礼を言うわ。ありがとう」と付け加えた。
「いや、礼には及ばない。ところで、さっきの話の続きだが、こことあっちの世界を統合するには、どうすればいいんだ?」
 ヒノエは一瞬、考えるように目を泳がせたが、すぐに俺に視線を合わせてきた。
「その議論に加わるには、あなたはまだ階級が低すぎるわね」
「方法はあるってことか?」
「アリフがいたときは、彼を中心に後の世界を治めていけるよう計画立案されていたのだけど、彼が去った今、全面的に計画の見直しが行われていてね。まだ完全とはいえないけど、なんとか算段はついてきてるわ。なので、心配ご無用よ。あなたは、特殊任務をしっかり遂行してちょうだい」
 俺は、踏み込むべきかどうか迷ったが、やめた。ただ、俺の想いだけは伝えるべきだと思った。
「ヒノエ。世界の運命を背負うってのは、いうほど簡単じゃないことはわかっている。ただ、オレもここまで関わった以上、その片棒を担ぐつもりでいる。それには力不足ってんだったら、横にいて、見えない死角を担当する。そんでもって、邪魔なものは吹き飛ばしてやる。だから、おまえは、前だけ向いて、世界平和か何だかに邁進すりゃあいい」
 俺は真っすぐにヒノエを見つめた。ヒノエは一瞬、驚いて油断したような顔をしたが、すぐに真顔になった。素早く俺の脇腹に入ってきて、胸ぐらを掴むと、「百年、早いわね」と小さくつぶやいて俺を突き放した。そして、あの太陽の笑みを浮かべ、「でも、ありがとう」と言うと、颯爽と部屋を出ていった。 

 それから数週間後、俺は国王主催の音楽祭にヒノエのパートナーとして招待された。年に一度の大規模コンサートだそうだが、去年はディーバ―であるクロエ嬢の体調不良で中止となっていたので、二年ぶりの開催となるそうだ。
 こういった社交の場に出席するのは初めてのことだった。二階の特等席が用意されていて、そこにはブルーノとステファンの姿も見えた。二人とも正装でいつもより落ち着いてみえる。俺を見つけると、「わあ!」と目を丸くして驚き、
「馬子にも衣裳とは、よく言ったもんでやんすね」と、軽口をたたいていた。
 会場はとても広く、古代の眠れる小国の大理石でできた回廊のように、ゆるやかな曲線を描いていた。見た目にも音響的にも緻密に設計されているホールでは、楽団が重厚な音色を奏でている。まるで別世界にいるようだ。この空間は五次元もその先も突破して、天界に続いているとのではと錯覚しそうになる。
 有名なピアニストのソロ演奏がはじまった。ピアノの音色は泣いているようにも笑っているようにも聞こえ、滑るようにも踊るようにも感じられる。ゆったりとした曲調から徐々にスピードを増していき、ピアニストが立ち上がらんばかりに全身で鍵盤をかき鳴らしはじめた。こちらも思わず前のめりになる。
 しばらく一緒になってリズムに乗っていると、唐突に、最後のメロディーが会場にふりまかれる。それを耳にするや否や、観客から割れんばかりの拍手がおこった。
 ピアノのソロ演奏が終わると、次はクロエの登場となった。華やかなメイクで純白の衣装をまとい粛々と歩く姿は、どこかの国の姫君のようで品よく優美だった。この間会ったときは、何か物悲しく弱々しい感じがしたが、今は堂々としていて歌姫としての風格さえ感じる。
 人々の拍手と歓声に包まれながら、クロエがセンターポジションに位置する。会場が一斉に静まり返った。俺も固唾を飲んで見守る。
 ひと呼吸おくと、クロエが静かに歌い出した。柔らかい泡のような振動が場内に溢れ出す。その声のなんという美しさよ。数え切れないほどの小鳥が一斉にさえずりだしたかのように、幾重にも波打ってホール全体にこだまする。
 クロエは一切の感情をもたずに、クロエ自身であることも打ち捨て、ただ自分の体を筒として真空に音を響かせ放っているようにみえる。宙を見据えて高らかに、天まで声が届くようにと、祈りを捧げるように小さな身体を振るわせている。
 俺は思った。これは一種のいけにえだ。クロエは天に向かって、声を、その身を、一心に捧げている。こんなことが普通の人間にできるのだろうか。
 先ほどのピアニストがなめらかに伴奏に加わった。なんら力みのない優しい音色は、ヒノエの声と調和していく。
 場内はピアノも歌声も確かに響きわたっているのに、静寂そのものだった。墨と余白だけで静けさを際立たせる水墨画のように、奏でられる音はただ会場に染み入っては消えていく。
 バックコーラスとオーケストラも加わって、音に厚みが増した。それでもクロエの声だけは別格で、その旋律は全ての音を主導して、合わさり、含んでいく。
 あまりの素晴らしさに現実の出来事とは思えずに、俺はしばらく聞きほれていた。
 気が付くと、クロエが深々とお辞儀をしていた。どうやら終わってしまったようだ。会場からは拍手と喝采が鳴りやまない。皆がこの声をどれほど待ちわびていたのかが伝わってくる。大勢が涙し歓喜して、飛び上がらんばかりに喜んでいた。
 休憩をはさんだ第二部では、華やかなダンサーたちが出てきて、楽団とともに賑やかなパフォーマンスが繰り広げられた。色鮮やかな衣装に身を包み、大輪の花が一斉に咲いたような群舞では、わっと歓声があがる。
 サーカスのようなアクロバティックなショーもあり、見ごたえがあって美術的にもかなり洗練されたものだった。
 大勢のコーラスに合わせて、ダンサーたちが登場する。有名なチームのようで、皆、立ち上がって拍手しだした。ダンサーたちは美しく優雅に舞い、見事に会場を沸かせていた。
 しかし、どのショーも、クロエの歌のような圧倒的な感動はなかった。そもそも、技術的にも比べようがないのかもしれないが、それ以前に何かが違うのだ。それは、捧げるといった覚悟なのか、無になるという境地なのか。
 センターにいる踊り子はリーダーなのだろう。華があって確かに上手い。しかし、そこには彼女の自我が全面に出ていて、どう?見て!ほら素敵でしょう、といった声が聞こえてくるようだった。もし彼女がセンターでなく隅のほうで踊っていたとしても、普通では気づかない微妙な違和感をおこして、自然と自分を目立たせてしまうだろう。
 なるほど、芸術とはさようなものかと、俺はヒノエが言っていたエゴの話を思い出していた。

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