見出し画像

サードアイ ep 11 初任務

 体調が戻ってからというもの、俺は毎日のようにヒノエによる訓練という名の調教に駆り出されることとなった。
 基礎体力をつけるために、午前中はハードなトレーニングメニューをこなす。ヒノエは筋肉の使い方が上手いのか、あんなに細いのに結構な重量を軽々と持ち上げる。戦闘能力も並大抵のもんじゃなく、相手の動きの何手も先を読んでいる上に、モーションが矢のように早い。そのうえ、打撃が半端なく強いのだ。俺は何度も組んだが、ことごとく惨敗している。戦闘AIか何かじゃないかと疑ったが、どうやら生身の人間らしい。
 それでもって、学術的な知見もずば抜けてるって、どんなやつだと舌を巻く。まったく、どれだけの修練を積んだら、こんなに強くなれるっていうんだ。
 他にも、カプセルに入って、限界ギリギリまで圧縮されて負荷をかけられる訓練もあった。時空間移動の際の圧力に耐えうる身体にするのが目的らしい。宇宙飛行士の訓練もこんな感じなのかもしれない。
 時空間の移動には体力のほかに、魂の歪みに耐えうるメンタリティーも養う必要があるらしい。ヒノエに言わせると、そのあたりは何とか合格点だそうだ。「精神感度が低くて良かったわね」と嫌味を言われた。
 午後は三次元の世界情勢を徹底的に叩き込まれた。こっち側からどういう仕掛けをするか、様々なプランニングや、状況が変わった時の対応策などを、問答を通して何度もシュミレーションしていった。
 毎日かなりハードでタフなスケジュールだったが、なによりヒノエが一番厳しかったのが、俺の話し方の矯正だった。何しろ上層部の人間たちと会わないといけないらしく、このままじゃ埒が明かないと、敬語の使い方から挨拶の仕方、テーブルマナーに至るまで、徹底的に教育された。敬語なんて使ったことがなかったから、まずはそのあたりをみっちりと仕込まれる。そして、俺が少しでもヘマすると、すごい勢いでオーラの圧をかけてきやがる。うっかりすると倒れこみそうなくらいで、これならまだ、あのカプセルに入って身体をつぶされるほうがましだった。
 ほかにも色々と覚えなきゃならないことが沢山あって、俺は何でこんなことをしなきゃなんねえんだって文句を言うのだが、「じゃあ、三次元世界に行かなくていいのね」と言われると、返す言葉がなくなる。俺は興味からも、郷愁からも、魂を飛ばしてあっちの世界に行ってみたかったんだ。

 いよいよ、その日がやってきた。重要な任務を果たすため、ヒノエのアシスタントとしてようやく三次元の旅にでられることになった。
 ヒノエに連れられて向かった先は、ラボ別棟の広い地下室だった。やけに湿度も温度も低い。
「おいおい、こんなところに肉体を置いてっちまったら、凍えて心臓がとまるんじゃねえか」
「大丈夫よ。箱の中はしっかりと温度管理がされているから。ちょっとうたた寝するようなものよ」
 そこは、ドラキュラが眠る棺桶みたいな箱が無数に置かれてあって、薄暗くて墓場みたいだった。よく見ると箱のサイズが微妙に違う。
 ここにきて疑問が再びおこる。肉体を置いて魂だけを飛ばすって、本当にそんなことができるのだろうか。
「あのよぉ、前から不思議だったんだけど、オレはこの星の人間じゃなかったんだよな。だったら、この体はどうしたんだ?ステファンに連れてこられたときには、この体はこうやって保持されてなかったんだろ?」
「魂の組成から逆に遡って調べれば、骨格や臓器のサイズや肉付きなんかがわかるらしいわ。それで急ごしらえしの手術となったってわけ。詳しくはブルーノにきいてちょうだい」
 急ごしらえって、そんなに都合よく体が作れるものなのか。
「あなたは、Rの三番に入って。いい?練習どおりにするのよ」
 俺は棺桶の中に入った。中は人型になっていて、すっぽりと隙間なく身体が包まれる。まずは、呼吸を整えてから、右手のスイッチをひねる。ガラスの蓋が自動で閉まった。そこから右側のつま先を車のアクセルを踏むかのように動かす。いよいよ出発だ。
 無音だが、圧がかかっているのがわかる。練習用のカプセルに入っているかのように体中が振動する。息はできるが、心臓が飛び上がりそうだった。
 しばらくそれに耐えると、今度は脳に刺激がきた。ハンマーで殴られたかのような衝撃と激痛が走り、脳の中を雑巾みたいに絞られた感覚で、強い眩暈と吐き気がした。これは練習の何倍もきつい。
 そのあと、真っ暗だった視界に何色もの光が交互に現れる。眩しくはなく、花火のようで綺麗だ。
 俺は、生きてるのか?あの棺桶の中で実際は死んじまったんじゃなかろうか。
 そんな疑問をもちつつ最後に体感したのは、身体中をめぐる虫唾の走る不快感だった。全身を何か柔らかいもので撫でまわされているような感覚がしたかと思ったら、なめくじが体中を無数に這いまわっているような粘っこい動きになって、思わず声をあげそうになった。
 身動きができないまま、ひたすら不快感に耐えていると、それらすべてが一斉になくなり、爽やかな春風のようなものがめぐり、そのあとは静かになった。たぶん着いたのだろう。
 ヒノエに言われたとおりに、それから三十の数を唱える。
 体を確認するが、やはり、どこにもない。しかし、しっかりとした意識はあって、存在しない体を動かしている感覚だった。手をついて頭をもたげて足を曲げながら立ち上がるイメージをして、俺の魂はゆっくりと移動を始めた。
 魂で彷徨う三次元世界は、うっすらともやがかかっていて、水中を歩いているかのような空気の抵抗が感じられる。ヒノエが言うには、慣れてくればスピードも出せるらしい。だが、今はまだ思うように進めない。
 ヒノエはどこだろうか。すると、向こうの方にぼんやりと灯りのようなものが見えた。たぶんあれだと思って近づいていく。直接コンタクトを取り合う。
「グッドジョブ!初回にしてはスムーズにいったわね。気分はどお?」
「大丈夫だ。でも、身体があるみてぇな感じがして、上手く動けねぇ」
「最初はゆっくりでいいわよ。そのうち、スムーズに動けるようになるから」
 おそらくヒノエは俺に気遣ってスピードを調整してくれているんだろうが、うっかりすると彼女の光を見失いそうになる。
 俺達が向かっている先は、世界的に有名な女性ダンサーの自宅だった。
 ヒノエはそのダンサーとは何度か接触しているらしく、今回が最終仕上げとなるそうだ。もちろん、繋がるのは無意識層なので、ダンサーはヒノエの存在には気づいていない。
 我々のミッションは彼女の魂のクリアリングの最終段階を経て、その分身を四次元の世界に連れていくことだった。
 四次元の世界では、人類のもつ真善美を体現する者として、優れたアーティストは特に尊重され優遇されている。アクロバティックなサイボーグダンサーや正確に音を奏でるAI楽団もいるのだが、やはり生身の人間のほうが情感が溢れていて好まれるらしい。そこで、三次元の実力アーティストを四次元に招聘するプログラムが施行されたそうだ。ただ、三次元で肉体の死を待って、そのあと魂だけ迎えるとなると、四次元で肉体が入れ替わってしまうので、それでは意味がないらしい。ということで、多くの三次元アーティストたちには、ある程度まで魂のレベルアップを施されてから、あちらの次元へと移行されるという。
「そこまでしてあっちの世界に引き上げたいっていうからには、相当な技芸をもったやつなんだろうな」
「ええ、彼女は天才よ。リズムをとりながら生まれてきたんだって母親が証言しているくらい。それで、早期英才教育を施して特別な音楽コースに入れて仕込んだってわけね。まぁ、一般コースでは個性が強すぎて適応できなかったというのが本当のところでしょうけど。日常でもずっと踊って歌っているっていうしね」
「で、ヒノエは今まで何を彼女に施していたんだ?」
「自我に意識を向けて、その負の領域を自覚し、それを捨て去るアプローチを手伝っていたの。アーティストが高次元の領域に行くには、自身のエゴを手放す必要があるのよ。でも、得てしてアーティストはエゴが強い。だから、彼らの魂を浄化させるには結構な手順と回数を要するの」
「人間からエゴをなくすなんて可能なのか?」
「ふつうは難しいわ。いわば悟りの世界だから。ただ、そこまでいかなくても、少なくとも他者のために存在する覚悟を持つだけで合格よ」
 どれだけ彷徨っただろうか。身体のない移動にもようやく慣れてきた頃、ヒノエが情報を飛ばしてきた。
「着いたわよ。予定どおり、アタシは彼女の中に入り込むから、あなたは外から彼女の変化を観察していてちょうだい。何か異変があったらすぐに知らせて」
「了解した」
 俺は、初任務に身の引き締まる思いだった。
 高級住宅街の専用ゲートのさらに奥まった高台に建つ彼女の家は、手入れの行き届いたプールと広い庭のある、海外ホテルみたいな豪華な造りだった。
 テラスでくつろいでいるターゲットを確認する。派手なガウンを着ていて、ロッキングチェアーに揺られている。目を閉じて、美しく波打った髪をなびかせながら、何かの歌を歌っている。
「いいこと、私が彼女の中に入りこんだ頃合いで近づいてきてちょうだい」というと、ヒノエはターゲットに向かった。不思議なことに、俺は今、肉体を持たない魂だけの状態だが、ターゲットも見えるし、ヒノエの魂のありかも確認できた。
 ヒノエがターゲットに入ろうとタイミングを計っている。ターゲットの肩から首にかけてふわふわと浮いていたかと思うと、すいっと、うなじ辺りから入っていった。ターゲットは一瞬、身体を硬直させたが、意識はあるようで、椅子に座ったまま歌を歌い続けていた。
 俺はすかさずターゲットのそばに寄っていき、ヒノエの様子をうかがった。全神経を集中させる。ヒノエの声、というか、ターゲットに向けてのメッセージが聞こえてきた。

―恐れる必要はない。全ては整っている

声というよりも、熱量といった感じの音波が伝わってくる。ターゲットはいやいやと首を横に振っている。抵抗があるようだ。

―魂はいきたがっている。真の自由を求めて。あとは手放すだけ。恐れを脇に、自我を解き、魂を宇宙に

ターゲットの目に涙が浮かぶ。

―大丈夫、アタシがついている

 ターゲットはそのまま眠ってしまった。俺は訓練どおりに、ターゲットの喉元から出てきた小さな光の珠を両手に包むようイメージした。抱いた魂は、質量はさほど感じられないものの、確かな存在感があった。それは、幼い頃に飼っていた白い手乗り文鳥のように生暖かく震えている。生まれたての小さな命を手にして、深い感動で心が押しつぶされそうになった。
 俺はその光を損なわないようにと、猛スピードで天空を翔けていった。何にかえても無事にターゲットの魂を送り届ける役目を背負って。
 一心不乱に疾走する俺の魂は、この上ない喜びに満ちていた。肉体があったなら、俺は汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていただろう。そして、きっと、赤い瞳になって使命に燃えていたはずだ。
 俺は、天の風と化して全速力で翔けていった。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?