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年初の雑感

あけましておめでとうございます。

年初始めての投稿ですが、年初の雑記ということで正月に思ったり考えたりしたことをつらつら書いてみようと思います。

平野国臣、ご存知ですか?

年末年始はほぼ毎年実家の福岡に帰省しています。

福岡の街の割と中心寄りのところに大濠公園という、元々福岡城のお堀をベースにした公園があるのですが、そこから海側に歩いて10分くらいのところに光雲(てるも)神社というこじんまりとした神社があります。

子供の頃から初詣はだいたいここなのですが、その神社に登っていく坂道の途中に平野国臣というお侍の像が立っています。

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この方、幕末期に活躍した福岡出身に志士で、全国的な知名度はあまり高くないのですが、江戸幕府という社会構造に軋みが出始めていたとはいえ、その権威・権勢がまだまだ盛んな時期から、倒幕という概念に到り志士としての活動を始めたり、西郷隆盛が錦江湾で入水自殺を計った際に船に居合わせてその命を救ったり、と知る人ぞ知る幕末の大人物の一人だと思っています。

また志士としてだけでなく、和歌や笛などの芸術的な才能も豊富で優れた詩歌も多く残していたり、また彼なりに本物の侍のスタイルを突き詰めて、江戸の時代としては奇抜な鎌倉時代の侍の格好で市中を闊歩したり、とちょっと常識外れの面白いところがあって、今の世でいうなら軍人や政治家というよりも、高い思想性を持ったアーティストっていうイメージが強くあります。

ボブデュランとか、U2のボノとか、REMのマイケルスタイプとか、日本でいうと忌野清志郎とか、そういう類の人の匂いがして、ごく地味〜に個人的研究を続けています。

我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙は薄し桜島山

この歌は、倒幕の働きかけをするために薩摩に潜入するも倒幕という当時してはあまりの過激思想に、薩摩の人間はまだ誰もついていけず国から追い払われてしまう際に詠んだ歌です。

元々足軽出身で身分が低かったこともあり、藩を超え在野の志士として苦労を重ねながら活動していくのですが、最期は捕らえれ京都で斬首されてしまいます。思想と行動が時代を先取りしすぎていたということもあるでしょうし、おそらく純粋すぎて政治家としての能力にはあまり長けていなかったんだろうなあと思いますが、思想も唱えるし、時に過激な行動にもでるんだけど、「結局はROCKやろうもん」みたいな、暗くないカウンターカルチャー感がところどころに感じられて、どこかロックスターを見るような憧れを感じさせるところが平野国臣の魅力だと思っています。

カウンターカルチャーを考える

仲間と会社を始めて今年でちょうど10年になります。今では社員も増え、戦略やらビジョンやらを真剣に考えながら次の10年に向かうために気を引き締めねて経営に当たらねばと思う毎日ですが、最初に会社をやろうと思った頃のことを思い出してみると、最初のプリミティブな動機はそんなに大層なものではなくて「バンドやろうぜ〜!」みたいな感じだったのかもなあと思います。

さきほどロックスターへの憧れ、と書きましたが、若者がカウンターカルチャーに憧れてバンドを始めたり、それぞれの創作活動を始めたりするのと同じような感覚ですね。

そういうと若者の麻疹みたいなようでちょっとお恥ずかしいですが、実際のところ自分の中にあるカウンターカルチャー的なものに対する憧憬というか嗜好性が、あえて自分たちで一から会社をやろうという道を選ばせたのだろうと思っていますし、実際に自分たちが作ってきた事業やサービスを考えるとそういう嗜好性がどっかしらに出ているんじゃないかなとも思います。

少し前に読んだこの本は、1960年代頃から生まれてきたカウンターカルチャーという思想は、若者的な憧れや反体制意識をうまく取り込みながら、結局、音楽やファッションといった巨大な消費文化を生み出した以外、何も残すものがなかった、というどちらかというとアンチ・カウンターカルチャー的な内容なのですが、例えば資本主義やその副産物的なカウンターカルチャーに対する善し悪しの評価は別として、事実としてカウンターカルチャー的なものから綿々と生み出されてくるモノやコト、そしてそれらの流れ(ストーリー)が、時代や社会を形作っていると僕自身は思っています。

当然ながら一直線の流れではないけれども、大きなうねりを描きながらも、個が輝く。そしてそれぞれの個が繋がってい大きな価値を生み出していく。そんな社会へと進んでいく、というのが私自身の時代認識であり、カウンターカルチャーがもつ遺伝子ではないかなと思っています。

第3の道

カウンターカルチャー的なものついて考えていくと、必ずといっていいほどメジャーかインディーズかとかみたいなところに議論を行き着くかなと思うのですが、これに限らず人はとかく二極的な対立構造で物事を捉えがちです。

二極構造、対立構造というのはシンプルで確かに理解しやすいのでそういう考えや物言いは支持されやすかったりもするのですが、何かを選ぶことで、もうひとつをスポイルしなければならない、それによって生まれる犠牲や矛盾もあると思っています。

日々の仕事や生活を通じて、AでもありBでもある、どちらか一方だけでなく、どちらにとってもよい、そういう部分に思考や行動を進めていく、そういうことがこれから大事なんじゃないかなと感じているのですが、実際のところはそれぞれを両立させる道というのはそんなに簡単なものでなかったりもしますし、目先の成果や実績を得るためにはどちらかを犠牲にして進めたほうが早いことも多々あります。

そういう部分のモヤモヤがずっとあったのですが、motherhouseの代表の山口さんもThrid Wayという本を読んで、似たような考えをお持ちだというのことがわかって、自分の感覚に少し自信がもてた気がしました。

ポジティブな10年に

そんなこんなで色々なことを考えながら、2020年も前に進んで行こうと思っています。2020年代は、個人的にも、会社として、そして社会全体な変化が生まれる時代になるんではないかと思っています。

色々険しいことも多いし、大変なこともあるだろけれど、けしてネガティブなことだけではない。いかに考えて、自分たちを鍛えながら、ポジティブに挑む。時代認識をもって今年もがんばっていきます。





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