「サッカー王国」の一言で済ますなかれ〜フットボールの白地図 by OWL Magazine【第14回】静岡県
<静岡県>
・総面積 約7777平方km
・総人口 約362万人
・都道府県庁所在地 静岡市
・隣接する都道府県 神奈川県、山梨県、長野県、愛知県
・主なサッカークラブ 清水エスパルス、ジュビロ磐田、藤枝MYFC、アスルクラロ沼津、Honda FC
・主な出身サッカー選手 杉山隆一、大榎克己、長谷川健太、堀池巧、三浦泰年、三浦知良、中山雅史、澤登正朗、相馬直樹、藤田俊哉、名波浩、望月重良、服部年宏、大岩剛、平野孝、山田暢久、川口能活、伊東輝悦、西澤明訓、古橋達弥、小野伸二、高原直泰、市川大祐、長谷部誠、鈴木啓太、内田篤人、大島僚太、北川航也
「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は、都内在住の私にとって身近な取材地である、千葉県をピックアップした。今回は「サッカー王国」という枕詞が最もしっくりくるであろう、静岡県をフォーカスする。もっとも、この「サッカー王国」という表現については、もう少し仔細に観察していく必要がある。
静岡といえば、東海道新幹線の車窓から見える富士山を想起する人は多いだろう。遠くから眺める富士は、確かに優雅で美しい。しかし実際に登山してみると、ゴツゴツした岩と土漠ばかりの、荒涼とした風景が広がっている。加えて言えば、有史以前より噴火を繰り返してきた活火山。現地に降り立ち、歴史を振り返ることで、まったく違った風景が見えてくるのは、富士山もサッカーも同様である。
静岡県が、全国的にも早くからサッカーが盛んで、その豊かな土壌から多くの優れたタレントが生まれたことについては、異論を挟む余地はない。だが同じ県内でも、降り立つ場所によって見える風景は異なるし、それぞれの土地には個別のフットボールの歴史が刻まれている。その多面的な魅力について、私なりの視点から語ってみることにしたい。
静岡県でも、とりわけ「サッカーどころ」として知られていたのが、旧清水市(現・静岡市清水区)。1956年、堀田哲爾という若き教師が清水市立江尻小学校に赴任し、日本で初めてとなる小学生サッカーチームを創設したところから、伝説は始まる。市内の小学校の選抜チームである清水FCは、1970年代から80年代にかけて圧倒的な強さを誇り、ここから巣立っていった選手たちは、黎明期のJリーグを支えることとなる。
やがて91年には、当時としては珍しかった1万3000人収容のサッカー専用スタジアムが作られ(現・IAIスタジアム日本平。その後、スタンドを増設して2万人収容)、Jリーグ開幕時には「親企業を持たない唯一のクラブ」のホームタウンとなった清水。当時のJリーグとしても、単なる企業チームのリニューアルではない、地域に根ざしたボトムアップ型のクラブが必要だったのだろう。そうでなければ、静岡県1部所属の清水FCが一足飛びにJクラブとなることはなかったはずだ。
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