サッカー王国にして「球技の楽園」〜フットボールの白地図 by OWL Magazine【第19回】埼玉県
<埼玉県>
・総面積 約3797平方km
・総人口 約734万人
・都道府県庁所在地 さいたま市
・隣接する都道府県 東京都、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県、長野県
・主なサッカークラブ 浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャ、浦和レッドダイヤモンズ・レディース、ちふれASエルフェン埼玉、大宮アルディージャVENTUS
・主な出身サッカー選手 犬飼基昭、横山謙三、鈴木保、永井良和、西野朗、佐々木則夫、村井満、斉藤和夫、水沼貴史、反町康治、大熊清、田口禎則、山郷のぞみ、池田浩美、中澤佑二、佐藤寿人、佐藤勇人、宇賀神友弥、山田直輝、原口元気、関根貴大
「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は、日本が世界に誇る「恐竜王国」福井県を紹介した。今回は、広島県、静岡県と並ぶ「サッカー王国」埼玉県にフォーカスする。埼玉県といえば、浦和レッズと大宮アルディージャといったJクラブのみならず、今年の秋に開幕するWEリーグにも3つのクラブが名を連ねている。
埼玉県の「フットボールのある風景」といえば、誰もが思い浮かべるのが、スタンドが真っ赤に染まった埼玉スタジアムの光景であろう。ただし「フットボールの白地図」では、あえてそこには触れない。レッズサポーターの応援スタイルには、最大級のリスペクトを惜しまないが、それだけが埼玉県の「フットボールのある風景」とは思わないからだ。魅力的な風景は、埼スタ以外にも間違いなくある。
そもそも、埼玉県がサッカー王国となったのは、浦和レッズがこの地に来る以前の話だ。明治末期、埼玉県師範学校に着任した教師がサッカーを伝え、同校は1937年に全国中等学校蹴球選手権大会(現在の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。埼玉師範の卒業生が地元で教師となり、それぞれ着任した学校でサッカーを教えたことで、当時の浦和市を中心に県内でサッカー文化が花開いた。
拙著『サッカーおくのほそ道』にも書いたことだが、あらためて強調しておきたい。浦和は最初から、レッドダイヤモンズ(三菱)ではなかった。当初は狭山市に生産工場を持っていた、本田技研サッカー部の誘致を目指しており、クラブ名も「浦和ホンダウィンズ」とすることが内定していたという。結局、本田技研は1990年10月の段階でプロ化を断念。浦和には三菱がやって来ることになる。
旧浦和市とレッズとの出会いは、実に幸福なものであったと言える。浦和の人々はサッカーを見る目が肥えており、クラブもまたそれに応えようとあらゆる努力を惜しまなかったからだ。Jリーグ黎明期のレッズは「お荷物」と揶揄されるくらい弱かった。それでもレッズのサポーターは、駒場スタジアムでの試合を終えると『酒蔵 力』に集っては、世界一のクラブになるための議論を熱く語り合った。
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