なぜ天皇杯のnoteマガジンを発売するのか?『100回目の天皇杯漫遊記』まえがき
日本サッカー界とJFA(日本サッカー協会)にとって、2020年から21年にかけての2年間は、極めて重要な意味を持っていた。
まず2020年には、東京五輪とパラリンピックが開催されることになっていた。そして2021年は、JFA創設からちょうど100周年に当たる記念すべき年である。この2つのビッグイベントをつなぐのが、天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会(以下、天皇杯)。大会は当初、2020年5月23日に開幕、88チームが参加することになっていた。
この輝かしくも誇らしげな2年間に暗い影を落としたのが、地球規模での感染拡大を続けている新型コロナウイルスである。3月23日に東京五輪とパラリンピックの開催延期が決定。一方、天皇杯についても4月7日、JFAが「5月末まですべての主催事業を延期、または中止とする」方針を出したことを受け、当初予定されていた5月の1回戦開催を延期することが発表された。
その4日前の4月3日、Jリーグは「国民の健康を第一に考えつつ、社会的な役割を果たしていく」として、再開日程を一時白紙とすることを発表(この時点で、Jリーガーの中からも陽性反応者が複数人出ていた)。国内プロリーグがこのような状況にある中、プロ・アマが参加するカップ戦である天皇杯について「今年は中止もやむなし」という空気が、サッカーファンの間では支配的であった。
しかし主催者であるJFAにとって、第100回の記念大会開催を断念するという選択肢は、どうやらなかったようだ。JFAは4月23日、大会参加チーム数を88から50(J1上位2クラブ+アマチュアシード+47都道府県代表)に規模を縮小させ、開幕日を9月16日とする方針を発表。のちに、J2とJ3の1位チームにも出場権を与える修正案が、6月18日の理事会で承認された。
前回大会までの天皇杯では、J1とJ2の40クラブは予選なしで、そしてJ3クラブは都道府県予選を経て出場することになっていた。しかし、6月27日に再開されたJリーグの日程消化を最優先させるため、Jクラブの天皇杯出場はリーグ戦が終了する準々決勝以降となり、1回戦から5回戦まではアマチュアのみで開催されることとなったのである。
ここでいったん、状況を整理しておこう。まず、今回の天皇杯は第100回の記念大会であったこと。次に、コロナ禍の影響でイレギュラーな大会となったこと。そして、5回戦まではアマチュアチーム主体の大会となったこと。この状況は、まさに空前絶後であり、フットボールを取材する者として、きちんと記録して伝えていこうという決断に至った。
この決断には伏線があった。かつて私はスポーツナビにて『天皇杯漫遊記』という連載を持ち、それがきっかけでJFL以下のカテゴリーのクラブや企業チームの取材を続けてきて、今年は『フットボール風土記』という新著も上梓した。そんな経緯もあり、今大会のレギュレーションと日程が発表されると、たとえ仕事にならなくても1回戦から決勝まで、すべての試合を取材することを即決した。
「たとえ仕事にならなくても」とは、どういう意味か。要するに、天皇杯の企画をネットメディアに提案しても、まず通らないという現実があった。理由は「数字が取れない」から。そんなわけで今回の天皇杯は、実質的に「手弁当」状態で取材を続けている。本項執筆時点で、1回戦から準決勝まで8試合。ただし、決勝については申請が受理されず(理由は稿を改めて書く)、チケット観戦となる予定だ。
ここで書き手として、考えなければならないことが2点あった。まず、単発の試合コラムを書き続けるのではなく、きちんと大会を振り返ることができるような形にすること。そして、取材にかかった経費を可能な限り回収すること。そこで注目したのが、noteのマガジン機能である。
Yahoo!個人ニュースにてにアップされた試合のコラムは、1日で流れてしまって忘れ去られてしまう。書籍化するにハードルが高い上に、時間もかかってしまう。その点、noteのマガジン機能を使えば、これまで執筆したテキストを写真を文字通り1冊のマガジンにまとめることができ、なおかつそこに価値を見出す人たちに購入してもらえる。しかも、タイムリーに発売できるのもありがたい。
本書は、すでに発表した1回戦から準決勝までの8試合のコラムに、決勝と大会総括の書き下ろしを2本、さらに取材現場での「オフ・ザ・ピッチでの裏話」を加えた構成となっている。今回の試みは、単に「取材経費を回収すること」だけが目的ではない。既存メディアでは通りにくい企画でも、やり方次第では「商品」として成立することを証明したいという、いち書き手としての切実な思惑もある。
もちろん、できることなら今回の試みを成功させたい。しかし失敗したとしても、この教訓を生かして、次世代の書き手の新たなチャレンジの契機となれば本望である。そもそも、失敗のリスクを恐れずにチャレンジできるのが、noteというメディアの特性だと私は思っている。こうした考えにご賛同いただいた方にこそ、このマガジンをご購入いただければ幸いである。
2020年12月28日 宇都宮徹壱
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2017年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。
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100回目の天皇杯漫遊記
コロナ禍の中で開催された、天皇杯JFA第100回全日本サッカー選手権大会(天皇杯)を1回戦から決勝までを追いかけたコラム集です。書き下ろし…
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