わたしの不信
わたしは死ぬのが怖いので、死後も残る魂みたいなものがないかと文献や体験談をいつも探してゐます。
さうしてゐると、標準医療ではなく代替医療、正統科学ではなく、疑似科学の領域に入り込んでしまひます。
そして、結果的には、何もかも信じられない、といふイヤな心境に到達してしまひました。
心身療法
わたしは自分を治すために自分がセラピストにならうとしてゐたことがあり、精神分析、認知行動療法、セラピューティック・タッチから、ホリスティック系のあやしさ満載のものまで、いろいろと勉強していくうちに、どれも実体は無いなと思ふやうになりました。
保険の効く認知行動療法も、あれで治る人はそもそもが心を病んでるとまではいってなかった人だと思ってます。
かいふうものすべてを一言で言ふと、「ビジネス」なんだといふのが、わたしの結論です。
実際に「効く」ものは無いと思ってゐます、わたしは。
気の問題ですね。気は楽になるだらうし、さうすると自律神経にいい影響があって、いろいろと好転することはあると思ひます。
だから、自律神経失調症の範囲だと、「効く」こともある。
ただ、いつ、どんなときに、誰に「効く」のかは、時の運。
そんなのは、療法とは言へない。
ビジネスとして成立してゐるのは、精神科医、そしてセラピストやカウンセラーを自称する人が、人たらしだからです。
臨死体験
臨死体験には、どうも実際に幽体離脱したとしか思へない事例もあってかなり期待しました。肉体を離れた意識、これは魂の有力候補です。
いろいろと調べていくうちに、日本人で臨死体験者として有名な人が太古の水とか売ってゐて、なんか、やっぱりさういふ世界なんだなと思ひ、熱が冷めました。
『臨死体験』の大著をものにした立花隆。
その本では、臨死体験を脳内現象説だけで説明することはできない。魂の実在も仮説として否定できゐないといふ文言があり、インテリ界隈から顰蹙を買ひました。
けれども、立花氏は自分の死が迫る頃になると、かたくなに脳内現象説をとるやうになりました。
「かたくなに」といふのは、かういふ問題は決着がついたと思ったら次の見解や事実が出て来て、結局のところ「わからない」とするのが、「知の巨人」として妥当な線だらうと思ふからです。
人間の「知」って、ようするに、「わからないってことを知ってゐる」といふことだとわたしは思ふので。
立花氏は、元々は、十代の頃、死の恐怖で自殺したくなるくらゐ悩んだといふことで、臨死体験の探求にも「死の恐怖をなんとかしたい」といふ個人的な動機は潜んでゐたと思ひます。
『臨死体験』を著はした後は、「死ぬのが怖くなくなった」と語ってゐました。ほんたうに怖くなくなった人は、そんなことは人に言はないと思ひます。
十代に死ぬほど死が怖かった人は、老人になっても、たぶん、怖いと思ふ。わたしがさうなのでさう思ふのかもしれませんが。
そんなわたしとしては、立花氏は、死を眼前にして、死後の魂を期待する自分の気持ちを抑へ込みたくなったのではないかと思ひました。
死の恐怖は、もしかしたら死んでも魂があるのかもしれないといふ希望が脅かされることから出てきます。仏教的に、最初の希望を持たないことによって、死の恐怖を感じないやうにするといふ古典的な方法を選択したのかなと思ひます。
疑似科学的療法
メタトロンとかオーソモレキュラー療法とか。
お医者さんは、ホメオパシーとかを攻撃しますが、メタトロン系のトンデモ医療器や「分子整合医学」とかになると、黙ってゐます。
標準医療のウソを告発するお医者さんはエライなと思って、本やYouTube動画をみると、自分もなんか〇〇療法みたいなものを持ってゐて、それでもって標準医療に立ち向かふといふ姿勢の人が多いです。
現代医学は偉大ですが、その偉大さはもっぱら外科、それから感染症対策によるものです。
他の分野は、治療するのが目的ではなく、医療報酬を得ることが目的になってゐます。
それを打破するのは、ほんたうに効く薬、ほんたうに治す療法。
でも、さういふものは今のところ、ありません。
あったら、もう口コミでも広がっちゃって、今ごろは、超過死亡者数が激減してゐるはず。
わたしが反ワクのヒーローやヒロインの医師たちにも白い眼を向けるのは、医療そのものの無力さを認めないからです。
医療とされるもののほとんどは、自然治癒の後援や促進に留まってをり、字義通りの医学的治癒、つまり人工的な治療、外科手術に相当する治療や治癒はまだ無いと思ひます。
・・・あったら教へてください。
自然治癒力に頼らない、人工的医療とは、たとへば、ゾンビを蘇生させる生物学的技術です。
ここまで理詰めで考へると、極論になりますが、その極論に乗ってしまって言へば、医師は虚業です。
セラピストとかカウンセラーと同じで、外科医や歯医者さん以外は、詐欺師とは言はないけど、治療や治癒といふ夢を売ってゐる芸能人みたいな人だ。
・・・とわたしは思ってゐます。