ツイッターが日本をダメにする
こういう題名でものを書きだしたら、わたしも終わりやなと思います。
科学技術の発達によって社会の変化が加速していくなか、各時代、各世代、新しいものが出ると、(そしてその扱いがわからないとき)
年寄りは「〇〇が日本をダメにする」と言い続けてきたわけで、
わたしも、令和五年、晴れて、その年寄りの仲間入りします。
ツイッターがどうして日本をダメにするか?
先ず、ツイッターは言葉で発信する。それがまずい。
言葉は、音楽やスポーツと違って、
①習わないでも書ける
②誰でも書ける
そして、下手でも上手でも気にならない。あんまり、わからない。
今の日本なら、あきらかに文才の無い、どう読んでも下手な文章でも芥川賞が取れる。
ギターを弾くとしたら、下手すぎると「うるさいな、よそで弾け!」と怒鳴られる。
つまり、ギターを弾けない、音楽のわからない人にも、上手下手はわかる。
街角に立って弾いても、よほど上手くないと、立ち止まって聴く人はいない。
ましてや、足元の箱にお金を投げ入れてもらうのはかなり難しい。
プロのギタリストは何万に一人?何十万人に一人?
そうしているうちに、ギターは押し入れに仕舞い込まれ、「昔はギターが趣味だった」という思い出になる。
もし、今でも「趣味として」続いているとしたら、多少とも他人から「うまいね」と言われる腕を持っているはずです。
下手で下手で、箸にも棒にも掛からぬまま、誰もが逃げ出すのに、それでも好きで弾き続けている人は、まあ、いないと思います。
言葉は、こうしてわたしがnoteを書いているように、下手で下手で、箸にも棒にも掛からぬ文章であっても、書き手は書くのをやめない。
やめない理由のひとつは、スキ(イイね!)のシステムでしょうね。
文章が下手でも、その中のメッセージが人にアピールしたら、スキがたくさん付く。
これも歌なんかでは難しい。
メッセージ(歌詞)はいいけど、歌になっていなかったら誰も耳を傾けない。
↑最後まで聴けた人、います?
茂木氏の近くにいたシールズの若者たち、よく耐えたね。
茂木氏はわたしら老害のチャンピオンですわ。
言葉は、下手でも、書けるし、まあ、短かったら読んでくれる。
だから、(短く)書いたらメッセージは伝わる。
ツイッターが日本をダメにする理由の二番目。
文章が短すぎる。短いから下手でも読んでもらえるのですが。
俳句や和歌くらいにストイックに短くもないし、何か、実のあることを書こうとしたらすぐ字数が尽きる。
そこで、YouTube動画でインテリ芸人が言っていることを見て聞いて、その結論のところだけを、自分の意見や感想として書く。
結論に至る論議は動画の中でインテリ芸人がやってくれているので、結論だけを書いていても自信満々でいられる。
ツイッターが日本をダメにする理由の三番目。
これは、最初の「言葉の問題」と関連するけれど、言葉でツイートするから、誰でもできる。
ツイッターが普及するまでは、自分の意見や感想を不特定多数の人に知らせたい人は、ブログを書いていたと思います。
人が読んでくれるブログを書くのは、かなりの努力と時間が必要でした。
だから、ネットができてからも、いわゆる一般人、わるく言えば「大衆」は、一生の間、自分の意見や感想を(友人の集まりや居酒屋以外で)人に述べる機会は無かった。
それが、今や、毎日毎日、自分の意見や感想を何万とも何百万ともしれない人に向かって発信できる。
この喜びにいったん浸ると、死ぬまでやめられない。
「民主主義は話し合い」と言いますが、話し合う人たちが「大衆」に広がっていったとき、民主主義は衆愚政治を生み出すことは避けられない。
ということは、ヒトラー総統と意見が合ってしまうのですが、
大衆はバカだということです。
一人一人は賢かったりバカだったり、その中間だったりと、いろいろでしょうが、大衆としてマスになるとバカになる。
大衆向けのマスコミがそれを証明している←ちょっと論理がずれてる
今、大衆(もしかしたら第五形態のバカゴジラかもしれない群体)の声が一番大きくなってしまい、大衆が日本の政治や社会を動かすようになっている。
これは、ツイッターのせいだとわたしは思います。
「ツイッターで炎上してます」
とマスコミが報じると、日本では国会議員が辞職し芸能人が謹慎休業に入る。
日本は、民主制体、法治国家から、ツイ民主制体、ツイッター治国家になってきている。
最後の、そして、ツイッターが日本をダメにする最大の理由。
いったん、ツイッターが普及したら、
もう、ツイッターの無い社会に戻れないこと。
酒を飲み過ぎていると、脳が溶けてゆくよーっとわかっていても、やめられないのと同じ。
日本の脳が溶けてゆく。
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