正しいから戦へる

 ウクライナ戦争って、まだやってるのかと感心します。
 戦争が始まった当初から、マスコミがいろいろ戦争の悲惨さを報道しましたが、日本人なら、本土でウクライナ戦争みたいな戦闘が行はれてたとしたら、今ごろは、理非曲直は脇に置いといて、とにかく
戦争はやめよう
としてゐたと思ひます。

 そんなふうに思ってゐたら、ウクライナ戦争も終はってないのに、中東でも戦争が起きそうです。

 みんな、好きだねえ
 落語の『寝床』に出て来る大店の旦那の言葉を思ひ出します。
 自分の浄瑠璃がひとくさりでもいいから聴きたくて仕事をほっぼり出してきましたと言って集った長屋の店子たちに、呆れたやうに、けれども内心嬉しくてたまらず、感嘆します。

 ユーラシア大陸はでっかくて、とりあへず、そこが国際社会であり、日本人とされる・ユーラシア大陸から逃れて来た・雑多な人種の人たちは、小さな島に閉ぢ籠ってゐた。

 はるか東のはて、しかも海を隔てた小さな島。
 「国際社会」からは、そんなところで、誰が何をやってるのかまったく不明な国でした。
 ペリーが無理やり開国させてみたら、東南アジアと同じ、黄色くて小さくて醜いサルの棲む、未だに封建制度の国家でした。

 醜いサルの封建制度の国であることを自覚して、福澤諭吉が必死で文明開化を勧めました。「未開の野蛮な日本人よ、はやく目を覚ませ。そのために学問しなさい、慶応義塾に入りなさい」と叱咤したのです。

 ユーラシア大陸の歴史は、異民族同士の戦争と侵略の歴史です。
 戦争が絶えたことがない。
 殺戮と略奪。
 キリスト教とイスラム教といふ宗教同士の戦争はもちろん、同じキリスト教の中で、カトリックとプロテスタントとに分かれて、神の愛に応へ、キリストに対する感謝のため、お互ひに、女も子供も殺しまくった。

 みんな、好きだねえ。
 
これは、まったく、好きでないとやれないんぢゃないかと疑ってしまふ。

 けれども、かうなったのは、地理的といふか、地政学的といふか、ひとつの大陸に、数えきれない民族が雑居してゐるからだと思ひます。

 たとへるならば、体育館に世界各国から難民が集ったやうな状態。
 すぐに大家族の難民たちが、体育館の中の一番いいフロアー部分を占拠し、それを拡大していく。
 すると、他の家族たちが結束して、大家族と殴り合ひを始める。
 さすがの大家族も、小家族連合には数でかなわず、父親と兄弟は殴り殺され、母親や祖母や祖父は逆さ吊りにされて干乾し。娘たちは輪姦された後、小家族連合共有の下女とされる。

 これでめでたしめでたし、かと思ったら、
その後、大家族から奪ったフロアー部分をめぐって、小家族同士が、あらためて闘争を始まる。
 かうやって、体育館の中で、国境線をぐじゃぐじゃと引いたり消されたりしながら、千年二千年、
戦争と侵略、殺戮と略奪
を、飽きずに、根気よく、続けてきた。

 間仕切り(パーティション)の一枚も無い・体育館の中で暮らすんだから、どうしても、かうなる。
 では、日本人は何に喩へるかといふと、校庭の運動場の隅の、小さな道具入れの中に入って暮らしてゐる陰キャ家族。
 小さいので、物置の中を家にして暮らせる。
 
 もちろん、家族同士でもめて刃傷騒ぎもあるけど、とことん殺し合ったら、独りになってしまふので、どんなに腹が立っても適当なところで納めてしまふ。
 それが癖になって、いつしか、
温厚な民族
といふことになってしまった。
 ユーラシア大陸の人たちに比べると、確かに、自己主張、肉欲、暴力性などにおいて、草食系民族だなと見える。


 ユーラシア大陸で生き残り、自分たちの安全と幸福を確保するには
戦争と侵略、殺戮と略奪
を続けなければならなかった。

 今のイスラエルとパレスチナを見ると、典型例で、どっちかが
「私たちがよくなかったね、ごめん」
と言って武器を納めたら、その民族は消滅する。

 なにがなんでも自分たちが正しくて、相手が悪い
 その信念無しに、
戦争と侵略、殺戮と略奪の歴史
は築けなかった。
 相手が悪くて、自分たちが正しい。
 妥協は無い。
 どんなことでも、なあなあに納めない。
 徹底的に自己主張。
 同調圧力なんて、もってのほかである。

 スペイン、イギリス、フランス、オランダ。
戦争と侵略、殺戮と略奪の歴史を誇る国々、福沢諭吉や東洋のルソー中江兆民が目指した文明を持つ国々が、
インド、ニュージーランド島、アフリカ大陸、北米大陸、オーストラリア大陸、そして東南アジア等々で、何をしてきたのか?

やっぱり、
戦争と侵略、殺戮と略奪の歴史の構築だったのではないでせうか?

 けれども、米英などに言はせると、アジアや中国、朝鮮半島において、戦争と侵略、殺戮と略奪を行ったのは日本軍国主義だといふことです。 
 日本人自身、そう思って、アジアのみなさんスミマセンといふ謝罪の気持ちを、この先、少なくとも、千年は忘れてはならないことになってゐます。

 日本では、総理大臣が、
日本人が自分たちの罪を忘れそうになった頃に、談話を出して、
国民に
侵略と殺戮と略奪の歴史を決して忘れることなく、
国際社会の平和愛好国の方々に、野蛮で未開で、まだまだ民主化も完全でなくて、ごめんなさい、スミマセンと繰り返し謝って経済援助をして、

自分たちは731部隊、関東大震災時の朝鮮人虐殺、南京大虐殺、東南アジアの人々を殺して苦しめたといふ何本もの十字架を背負ふ民族であるといふ自覚から、何事もはじめなければならない

といふことを思ひ出させてくれます。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?