大調和
参政党が「大調和」という言葉を使うのを聞いて「ついに馬脚を現したな。大調和というのは極右カルトの生長の家の中心教義だ」と言う人がいる。そんな古い話を知っているのだから、そうとう年寄りなのだろう。
生長の家は確かに日本会議を生み出した極右の宗教団体だったが、今は、立憲民主党を支持するリベラルな宗教団体になっている。大調和は自然との大調和という意味になっており、SDGsなどは今の教団の教義そのものだろうと思う。
カルト宗教の教義だというだけで、実物を読んだ人はあまりいないと思う。
そこで、生長の家の教祖、谷口雅春氏に下った神の教え、
『大調和の神示』を↓に添付する。
天皇とか親孝行とかいう旧い概念は無視して、また、日本会議だとか右翼だとかいう先入観をちょっと脇に置いて読めば、けっこう今のスピ系の人には「うん、うん」と頷けるところもあると思う。
大 調 和 の 神 示
汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である
天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ
汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ
われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ
天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である
本当の和解は互いに怺え合ったり 我慢し合ったりするのでは得られぬ
怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ
感謝し合ったとき本当の和解が成立する
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ
天地万物との和解が成立せねば 神は助けとうても 争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ
皇恩に感謝せよ
汝の父母に感謝せよ
汝の夫又は妻に感謝せよ
汝の子に感謝せよ
汝の召使に感謝せよ
一切の人々に感謝せよ
天地の万物に感謝せよ
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見 わが救を受けるであろう
われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる
われは此処に見よ 彼処に見よと言うが如くにはいないのである
だからわれは霊媒には憑らぬ神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ
われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ
われは愛であるから 汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる
(昭和六年九月二十七日夜神示)
どうだっただろうか?
わたしたちは生かされている。人や社会だけでなく、あらゆる生き物から物質まで、わたしたちはそれらの助けなしには存在することもできない。
だから、感謝しようという話だ。
今でも、「ありがとう」を言いましょうというスピ系ビジネス家がいるが、元ネタは『大調和の神示』だ。
生長の家には「感謝行」といって、一日、一万回「ありがとう」を唱えるというものがある。こうすると病気が治り、商売が繁盛し、良縁に恵まれるということだった。
ここでの教訓は、どんなに素敵な考えも、「こうすれば、病気が治る」とか「こうすれば、儲かる」とかいった呪文にしてしまうと台無しだということだと思う。
「大調和の神示」はいいことを言っていると思う。
「皇恩に感謝せよ」「汝の父母に感謝せよ」がいやな人は、「マルクス」とか「ハイデガー」とか「推しの誰それ」とか、自分の崇拝するものの名前をそこに入れたらいい。
なんにせよ、俺が、俺の、俺だと言って、誰にも感謝しないで生きている人は決して幸福になれない。
この原理は現代も生きていると思う。
幸せそうな人は、なんらかの感謝を行っている。
少なくとも、人から感謝されることをやっている。
つまり自分のことばかり考えて、自分の言いたいことだけを言っているのではなく、思いやりを示し、人が困っているときにはめだたない形で助けている。
そういう人でないと、幸福にはなれない。
ただ、今の時代は、あまり善人らしくすると目立ってしまう。
日本人はわるめだちがいやだから、善人面をするのを避けるようになっている。昔の松下幸之助氏のように「私は日本のため、世界のために金儲けしてます」というようなことを真顔で言うような人は少なくなっている。
ちょっと偽悪的な人が、かえって、かっこいい時代だ。
だから、斜めに構えて、人をバカだと罵って笑うことで人気を得ているインフルエンサーが多い。けれども彼ら彼女らは現代の善男善女の象徴だ。
例えば、ひろゆき氏も、こっそりなんかの施設に寄付をしているそうで(この施設は間違っても老人施設ではないだろう。たぶん、子供関係に違いない。また、このこっそりいいことをしていることがみんなに知れ渡っているところが松下幸之助的な賢さを感じさせる)、そういうところがあるから人の人気を得るのだと思う。
東北大震災で亡くなった人たちのことを語ってビートたけしが涙を見せたりするのを見ると、わたしなどはわざわざ人前で泣いて見せる厚顔さに吐き気がするが、そういう今のイデオロギーにおいて弱者とされる人たちに対して思いやりがあり、必要な時には涙を見せることが、皮肉家や毒舌家が民衆の人気を得る理由だと思う。
成田氏やホリエモン氏などは政治家や老人に対しては死ねと言うが、間違っても子供や障碍者を罵ることは無い。
いい人たちなのである。憎むのは悪だけだ。
彼ら彼女らは、現代版の正義の味方だ。
たけし的・ひろゆき氏的な人たちは、「ほんとうは善人なのだ」ということを偽悪を装うことで人に伝えている。
それに騙されるのは、つねに民衆である。
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