さういふ人にわたしもなりたい
また、ヒトの記事を引用して記事を書きます。
この記事を読むと、ご自分はワクチンを打っていらっしゃらないやうです。
わたしも打ってなくて、打たないことの遠因になってゐるのは、医療不信。精神科医療の実態を知ってゐるので、「医療従事者はお金のためならなんでもする」といふ偏見に憑りつかれてゐます。悲しい。
わたしくらゐの年寄りたちは、お医者さんを信頼し、病院にいけば安心だと思ってゐる人が多い。そして、さう思ってゐれば、やはり、幸せな死を迎へられると思ひます。抗鬱剤や抗がん剤でのたうち回っても、相手の悪意を感じなけば、不幸にはならない。
お医者さんも看護婦(師でしたっけ?最近、物忘れが・・・)さんもみんないい人ばかりと思ってゐる人は、空をつかんで大小垂れ流しながらも、「ありがたう、せんせい。こーどせんたんいりょうバンザイ」と叫んで、幸せに死にます。
不幸になるのは、他人や社会に悪意を感じるからだと思ひます。
信じるものは救はれる。
あるひは、知らぬが仏。
さて、本題。
次々と回りの人がコロナにかかっていく。ワクチンを打っていた人のほうが軽症ならいいなと思う。
みんなみんな、元気でいてほしい。ワクチンがコロナに効いてくれて、後遺症がこれからずっとずっと起きないことを祈るばかり、、、
反ワクの人って、ワクチンで人が死んだら嬉しいはず。
まあ、「そんなことはありませんっ!」と真顔で反論するだらうけどね。
この方は、ワクチンを打つことには懐疑的で、ご家族とも話し合ったことがあるさうですが、それでも、打った人の判断は尊重してゐる。
当然と言へば当然。
ワクチンが効くか効かないか、ワクチンを打ったらどれくらゐの人が死ぬか(そもそも百パーセント安全なワクチンはない)、今のところは、わからない。
わからない。これって、科学における唯一の事実でもある。
その他の「事実」は、すべて仮説です。地球が丸いってことも仮説だと考へるのが科学的態度です。もしかしたら、将来、平らだといふことが科学的に証明されるやもしれん、っていふのが科学であることの根拠としての反証可能性。
また、話が逸れていきましたが、自分の見識や態度や判断はそれとして、他者のそれらを尊重し、そして、自分とは違ふ価値観で生きる人たちの幸せを祈れる人。
すごい。
ここだけの話で、誰にも言はないでほしいんですが、わたしは、群れを成して「マスクを外せ」とか「ワクチンを打つやつはコロナ脳」とか合唱してゐる人は、・・・・・・たらいいと思ってます。
そんなわたしだから、反ワクチンの人は、ワクチン被害が広がるほど嬉しいに違ひないと思ってしまふわけです。
自分がサイテー下劣利己的な奴だから、他人もさう見えるって話やね、これ。
ともかく、自分とは価値観の違ふ人の幸福も祈れる人、
サウイフヒトニ ワタシモ ナリタイ。