なんでかうなったのか
いはゆる55年体制が確立され、60年の日米安保条約の是非が問はれたとき、日本人はアメリカの経済的文化的属国であることを選びました。
この↑記事の中で、さう書きました。
60年の日米安保条約の是非が問はれたとき、日本人はアメリカの経済的文化的属国であることを選びました。
なんでさうしたんだらうか?
と考へみたら、
日本としてこれから引き継いでいく歴史と文化を喪ったからだと思ひます。
なんにもなくなったから、どこの属国でもよかった。
とにかく新生日本であれば。
今、日本ってどんな国ですか?
と子供に尋ねたら、性格が素直で頭のいい子の場合、つぎのやうに答へるでせう。
江戸時代まで鎖国してゐて封建制度だったのが、明治維新でやうやく文明に触れたけど、帝国憲法みたいなものを作って近代化に失敗して封建制度のときの価値観を引きずったまま天皇を神格化して、朝鮮中国アジアを侵略して、ナチスドイツと手を組んで国際連盟から飛び出して中国アジアの征服に乗り出したため、自由と民主主義を守るために自発的に参戦した欧米と戦争となってしまひ、日本は軍国主義なのでバンザイアタックとか特攻みたいな基地外戦術を続けてしまひ、さういふ基地外から自国の青年兵士を守るため仕方なくアメリカが原爆を落とすまで「バカな戦争」をやめることができず、おかげで他国の人も自国民もたくさんたくさん殺してしまったので、かうなったのもみんな封建的な軍国日本が悪かったからと心から反省して、今度こそ、なんとか英仏米といった先進国の民主主義と人権意識を血肉にしようと、アメリカにもらった日本国憲法を百万遍読んで七十年以上努力をして来てはゐるものの、まだまだ老害と新たに登場したネトウヨのバカたちがその邪魔をしてミギ旋回が始まってをり、G7の中でも唯一いまだに発展途上の国。
こんな国は国とは言へない。
これから、国として創っていかなくてはならない、ただの人の集まりですね。
その認識は敗戦直後から心ある人たちには共有されてゐて、だから、アメリカを模範にして自由と民主主義の国にならうとしてきました。
八十年近くやってきたけど、三流四流のアメリカモドキから、どうしても上に行けない。
未だに公用語が日本語だけの、国際社会から取り残された国ですから。
それで、最近は、日本はアメリカに搾取されてるとか、密約があるとかあったとか、軍事基地は治外法権で、日本の領空には米軍機しか飛べない空路あっちこっちにあるとか、さういふことを急に今始まったことみたいに、れいわ新選組や参政党の人たちが演説し始めました。
可愛さ余って憎さ百倍。
戦後の日本人、今の老害の世代はこぞってジャズに熱中して身体を揺らして頭を振ってたけど、アメリカンにはなれなかったね。
次は中国を模範にしてはどうでせうか?
公用語と言へば、国語である日本語も、効率のわるい変な言葉。
漢字、ひらがな、カタカナ、音読み訓読み。
全然、ビジネスに向いてない言語。
これでは何をやってゐても文学的になってしまふ。
世界で、これだけ多くの国民が詩人である国って、日本の他にあるんでせうか?
俳句、短歌って詩ですよ。
文学を仕事にしてゐるわけでもないのに、川柳などをひねる人が日本には多すぎ。
そんな暇があったら、英語といふ国際語を話せるやうになるための勉強しなさい。
日本語はほんとにダメ。
こんな言語だから、福澤諭吉も嘆いたやうに、文明化できなかった。
世界に迷惑をかけた侵略戦争をしたのも、この日本語のせいだといふので、とりあへずアメリカの教育使節団によって古典との繋がりは切ってもらった。漢字も簡単なもの☆にしたし、歴史的かなづかひも廃止した。
☆語源を辿れない☆☆簡易字体(中国もこれをやって中国語話者を愚民化してる)。事実上、漢字使用の禁止である当用漢字といふ枠を学校教育に強制
☆☆漢字はその文字の姿から語源を辿れるから、表音文字にない生産性と創造性がある。
日本語本来の姿からは、かなり離れてきました。
でも、英語みたいな、根っからのビジネス用言語にはまったくかなわない。
ついでに、容姿。
石原裕次郎が人気だったのは、「西洋人みたいに背が高くて足が長い」から。
わたしの世代では、石原さんに相当するのが、松田優作でした。知ってゐる?知らんね、今の人は。
ソフト帽子を被った洋服姿が、日本人離れして、似合ふ人。
西洋人の容姿に対する憧れ、そして、自分たちの容姿に対する劣等感は、日本人を始め、アジア人にとってはどうしようもない。
どう見ても西洋人のはうがかっこいい、美しい。
髪だって黒いだけだとつまらない。金髪って素敵。
染めてないのに金髪のハーフだったら、そして、英語の勉強をしなくてバイリンガルだったら、もう誰も逆らへない。それだけで、知的セレブ、テレビのコメンテーターになれる日本。
西洋人は、別に、自分たちの容姿が優れてゐるとはおもってゐないと思ひます。
ただ、アフリカやアジアで、黒人やインドネシア人などを見たとき、形態は人間には似てゐるが、あまりに醜いので、神様が家畜用に二足歩行にしてくれたゴリラとサルなんだらうと思ったのだと思ひます。
だから、わたしたちは、今でも、「日本人離れしてゐる」とか「英語やフランス語がぺらぺら」とかいふ人が憧れで、さうなりたい、さうなりたかったクヤシイと思ってゐます。
そんな憧れが、石原裕次郎や松田優作といった俳優に投影されたのだらうし、はやく西洋人になりたいといふ切望が、なににつけても「日本で暮らす外国人」や「ハーフの人たち」や「海外生活が長い人たち」などに、日本で起きたモノゴトに対する批判や評価を求める姿勢に顕はれてゐるのだらうと思ひます。