陰キャと陽キャの時代
「鬱は心の風邪」キャンペーンが功を奏して、誰もが「あたしを心療内科につれてって。抗鬱剤くださいな」と言へるやうになった今。
かういふ時代になる前、アメリカの製薬会社が困ったのは、日本人が根暗とか陰キャとかの概念を持ってなかったこと。
だから、松岡修造さんみたいな、アメリカ人が日本人の皮をかぶったやうな人は、バカか基地外としか思はれてなかった。
ああいふ人はゐるのはゐたけど、めちゃくちゃ浮いてました。
誰もあの手の人の言ふことを聞いて自分の人生を変へていかうなんて思ふ人はゐなかった。軽薄、甘ちゃん、躁的防衛とみる人が大半だった。
暗く沈んでゐたいわけではないが、別に、あそこまで極端に、いつも明るく、いつも元気でゐたい、とは思はなかった。
人間、大人になったら、そんなに毎日笑ってられない。
たまには死にたくなるものだ。
と、思ってゐました。
そして、さう思った人の何百か何千か何万人かの一人は、ほんたうに、首をくくった。
借金が返せないので死にます。
男に捨てられたので、飛び込みます。
ああ、気の毒にとは思ふけど、仕方ないなと、世間の人たちは、次の日は忘れた。
自殺がそんなにものすごくどうしても根絶しなくてはならない悪だとは思はれてなかった。
かうして自殺のことについて「次の日は忘れた」などと書くと、自殺した家族がゐるといふ人から抗議がくるかもしれません。来たから、謝罪して削除します。まあ、言ひ訳にはなりませんが、わたしにもゐます。
死が、まだ、タブーではなかった。今ほど、社会から「絶対あってはならないもの」として排斥されていなかったから。
だから、死に方は、いろいろある生き方の一つだと観る人も多くはないが、ゐることはゐました。
明るく元気でないと心の病気だといふアメリカでは、抗鬱剤は飴玉みたいに売れてたけど、日本では、先ず
①精神病院は基地外の人がいくところ
②人生いろいろあって泣いたり笑ったり死にたくなったり歌ひたくなったりするのがデフォルト
といふ通念や文化がありました。
②をよく顕してゐたのが演歌とか昭和歌謡とかで、明るいのか暗いのか、嬉しいのか泣いてるのか、なんか判然としない歌や曲ばかりでした。
歌手もニコニコしながら「あたし、もう死にたい」みたいなことを歌ったり、おっさんたちが裏声で女の喜びを切々と歌ったり、もう、不気味といふか渾沌といふか。
バブル期、夜半を過ぎたけど、まだ夜明けまではだいぶ時間のある夜、うらぶれた繁華街をふらついてゐたとき、どこからか、三波春夫のチャンチキおけさが流れてきました。
↑笑ひながら歌って、お姉さんたちが楽しそうに踊ってるけど、歌詞をよくよく見たら、そんな陽気な歌と違ふやん。もっと鬱な顔してよ、混乱するやん。と今の日本人やアメリカ人なら思ふでせう。
どっから聞こえて来るのか、あたりを見まはしてもはっきりしない。窓の開け放された、明かりのついてる、あのぼろアパートの二階の部屋からか?
消えそうなるとちょっと大きくなるけど、やっぱり風にビブラートする歌声と、とぼけた伴奏がついてくる。
古くさい歌やなと、昭和生まれのわたしですら思った、べたな演歌。
わたしは演歌は嫌ひ。
それなのに、聞くともなく聞いてゐたら、知らない間に、ぼろぼろっと涙が落ちた。
生きることの哀しさ、寂しさ、そして愛おしさ。
泣きながら、笑って、「やっぱり生きようかな」と思ひました。
ちなみに、三波春夫さんの辞世の句
逝く春や 空に 桜があればいい
当時の日本人としては、こんな人生は珍しくなかったのではないかと思ひます。
こんな精神の明暗のはっきりしない民族には、せっかく開発した新型抗鬱剤も売れそうになかった。
それで、人生観を変えることにした。
明るく元気に人生を楽しめ!
自分を輝かせるんだ!
誰もが無限の可能性を持ってゐる!
精神科医が大活躍した。
そして、今は、陰キャか陽キャか。
鬱か松岡か。
さういふ時代になってるみたいだなとわたしは感じます。
ちなみに、心療内科が流行って抗鬱剤がバカ売れしたとたん、日本人の自殺者が三万人くらいまで爆増しました。
明るく元気に人生を楽しめ!
自分を輝かせるんだ!
誰もが無限の可能性を持ってゐる!
なんて四六時中思ってたら、そら、ちょっとしたことで「俺はダメだ」と自殺したくなるでせうよ。
いやいや、これは、たんなる、偶然。
わるいのは政治でしたね。右肩上がりの経済成長が頓挫したからですよね。
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