『空の神道』・歴史的な観点
わたしが、敗戦後に日本にもたらされた自由・平等・民主主義という正義、そして、最近の多文化共生社会や多様性といった正義に対して、斜めを向いて接するのは、歴史的な観点から見ると、それらが偽善、つまり、善と偽って西洋人の根源的な悪や今も決して消えていない侵略の欲望を隠しているだけのことではないかと思うからだ。
歴史的な観点?
この言葉における「歴史」の一つが、上に動画で述べられていることだ。
長いので、最後まで観る人はあまりいないと思うが、最後まで観たとしたら、少しは、わたしが『空の神道』『空の神道・おまけ』などを書いた動機がわかるだろう。
学校では習わない歴史が、実は、やまほど、ある。
それらを自分で学ばないうちに、日本の文化や伝統に関する見方を決めてしまうのは、ちょっとはやすぎると思う。
表向きは反論のしようがなくらいの綺麗ごと、それをかかげてアフリカやアジアを侵略して来た西洋人、そして、その綺麗ごとを自分たちが西洋から学んだ洗練された教養だと思い込んだ日本人が、日本の歴史と日本文化の批判を、この150年以上にわたって続けている。
わたしは、それに抵抗したい。それで、アメリカを同盟国と呼ぶ保守などではなく、ネトウヨと名のっている。