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近所のおっちゃんだから

通りがかりに、とあるサッカー部の試合を目にしたことがあります。

監督が、怒鳴り散らしていました。そのチームのポジションは、フォワードとミッドとディフェンスがハッキリと分かれ、右と真ん中と左がハッキリと分かれていました。一人ひとりがそんなに強くないそのチームは、相手のパスは止められることがあるものの、個人突破を全く止められていませんでした。

攻め込まれても、選手は淡々と静かにプレーしていました。誰一人汗をかいているように見えませんでした。グランドには、監督の怒鳴り声しか響いていませんでした。

実は、かつて選抜チームを率いていた、それなりのコーチライセンスを保有している監督のチームです。
多くの部活動でこんなシーンが見られると思います。

俺もコーチしていました。その頃、思っていたことを書きます。

間違っても指図なんてしないぞ。
間違っても答は教えないぞ。
他人に原因を押し付けるようなことは認めないぞ。

そんなことを、改めて強く意識しました。

俺は、近所のおっちゃんだから。偉そうなことは言いません。言えません。サッカーで楽しもうとしている子どもたちの遊びに、近所のおっちゃんが、混ぜてもらっているだけなんですから。

教えようとしたり、批判したり、評価したりする時点で、経験を振りかざしながら、一昔前の考え方を押し付けようとしていると、思うようになりました。

昨日正しかったことも、今日はもう古い常識で、間違いかもしれません。今日、改めて一緒に考えようと思います。

子どもたちの考えを聞いて、彼らの経験で足りないことだけ、参考事例として伝えるかもしれません。

しかし、経験を模範解答のように押し付けたら、考える機会を奪い、伸びしろに蓋をすることになると思うようになりました。

近所のおっちゃんは、子どもたちの一番の応援団ですが、戦うのは子どもたちです。勝て勝て!って、変なプレッシャーを与え続けるつもりもありません。

近所のおっちゃんは、近所の子どもたちに遊んでもらっているだけです。

遊びを通じて、子どもたちの人生の選択肢を広げることに、何らかの貢献が出来たらいいなあと、少し思っているだけです。

彼らが何度転んでも、転んだ数だけ立ち上がって、また進む力がつけばいいなあと、隣人愛で思っているだけです。

残念ながら子どもたちの多くは、プロのサッカー選手になるよりも、プロのサッカーコーチになるよりも、私のようなサラリーマンになる確率が高いように思います。

そんなサラリーマンの私が伝えたいこと。仕事をしていく上で大切だと思うこと、それは自分で責任をとれる判断力と勇気を身に付けることです。

そしてね、もしそういうことを身に付けられたら、サッカーでも最強になれる。メチャクチャ楽しくなる。そう思っています。

近所のおっちゃんは、そんな気持ちで遊んでもらうのです。色んな個性があります。サッカーが上手い子ばかりじゃありません。でもみんな、人生の主役として、輝いて生きています。

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