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鬱の原因?

認めたくないことなんて、山ほどあります。

車を運転していて、道を間違えたということ。自分は知らないのに、周りの誰もが知っているということ。おならと一緒に何か出たような気がすること。髪の毛が減っているということ。

認めたくないのは失敗だけじゃありませんが、自分の失敗を認めると、自分そのものが否定されたように感じることがあります。だから自己否定を回避しようと、悪足掻きするんですね。

そんなときに自分を認めてくれる恋人だったり家族だったりがいれば、ありがたく思い、やっぱり大切な存在だと気付かされます。

でも誰かを認めたことが間違っていたと分かったとき、失望するかも知れません。それは自分でも同じです。せっかく誰かに認めてもらっても、もし期待にそえなければ、スーパーがっかりされるかもしれません。

他人がどう思おうと、知ったこっちゃないと考える方が、ずっと楽だなってことになります。では、認める認めないはおいといて、知らんぷりがいいんでしょうか?

実は、もう一歩踏み込んで、「無条件に受け入れる」ことが必要なのかなあと感じました。

認めるというのは、何かを評価して、すごいなとか、良くやったなという気持ちを持っているわけで、上から目線なんです。

そうじゃなく、そんな評価は抜きにして、受け入れてはどうかということです。もちろん難しさは、段違いです。

でも、どんなことをしていても何を話していても、自分が同じ立場なら同じことをしただろうという前提で、何もかも、アリだね!それもこれもアリ!って考えられたら、仏様ですよね。

単なる理想論なのかなあ。

そのとき、ふと、自分の間違いくらい、さっさと認めろよ、受け入れろよ、って思いました。自分のことなんて、どうやっても完全には嫌いになれないし、離れられないんだから、上手くやるしかないわけでしょ。

自分の失敗なんて、当たり前。どれだけ自分を高く評価してたんだよ!って、思えてきました。要は、そこからどうやって復活するかを考えて実行することが、もっと大切なんですよね。

失敗を恐れるよりも、ありのままの自分を受け入れようっと。それが楽なんです。それでいいんだと思いました。

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