博多ラーメンを語るなら、まずは「マルタイ棒ラーメン」を食すべき、独自の細麺スタイルがここにある。
今では誰もが知っていることであるが、日本で最初のインスタントラーメンは日清食品の”チキンラーメン”である。日清食品創始者の安藤百福氏が苦労の末生み出した「インスタントラーメン」の開発秘話はNHKの朝ドラでも
取り上げられ、日本国民の大半が知るところとなった。
では、みなさんは「棒ラーメン」をご存知であろうか、黄色が基調の袋麺。商品名に棒ラーメンと入っていなければソーメンと思ってしまうスタイリングである。この”棒ラーメン”が関東のスーパーやドラッグストアの食品コーナーで販売されるようになったのは最近のことではない。
レトルトカレーやインスタントラーメンの需要は高く、ナショナルブランドだけではなくローカルブランドの商品を試してみたいという消費者が増えたためか、あるいはSNSの発達によってローカル商品情報が拡散されるようになったためか、いづれにしても食品売り場におけるローカルフーズコーナーが数年前から増えてきている。
「棒ラーメン」は2社が販売している、佐賀のサンポー食品と福岡のマルタイがそれである。私としては棒ラーメン=マルタイと言い切りたい、販売開始は2社とも1929年(昭和34年)に棒状の即席麺を販売しているが販売当初のパッケージを踏襲しているのはマルタイの棒ラーメンである。サンポーは
カップ麺で発売した「豚骨ラーメン」1978年(昭和58年)が人気であり、パッケージも発売当時と変わりない。
棒ラーメンの具体的な話に入っていきたいが、博多ラーメンの細麺文化の
原点が長浜屋にあるとすれば1952年(昭和27年)には開店していたので、マルタイのラーメンが長浜屋の細麺をモデルにしたとも考えられる。定かな説があるわけではない。
私がひとりで留守番した際に初めて作ったのが「マルタイの棒ラーメン」だった。母親からは「子供が火ば扱うたらいかん」と言われていたが、どうしても自分でラーメンを作ってみたかった。半世紀も前の話である、その当時から商品内容に変わりはないと思う。
今ではYOU TUBEの「博多飯」などの動画で多くの博多ラーメン店舗が紹介されるために、白湯の豚骨スープがベースであれば博多ラーメンみたいなイメージが定着しているようであるが、最も重要なのは麺である。
この独自の細麺を味わうには「マルタイの棒ラーメン」がピッタリなのである、自分で時間を計りながら「軟麺」「固麺」を作り分けることができる。近年では「バリカタ」や「粉落とし」などバリエーションが増えているようであるが、長浜の茹で加減は「やわ」と「かた」しかなかった。何故ならば暖簾をくぐって席に着くまでにラーメンを提供していたからである、多くのバリエーションがあればオペレーション出来なかった。私個人的には茹で加減が多い店舗は好きではない。
余談ではあるが夏場は冷麺の作り方が袋裏面に印刷されたバージョンが販売されている。この棒ラーメンで作る冷麺がまたうまい、ぜひお試しを。
添付の写真は秋葉原JR駅近くの喫煙所そばの広告塔である、ドーンと棒ラーメンが打ち出してある。細麺の博多ラーメンが食べたくなったら、まずは
「マルタイ棒ラーメン」をどうぞ、昨日・今日始めたような”博多ラーメン”屋さんよりもは、ずーと博多ラーメンのはず。