元旦から「お国自慢」の他地域ディスリ大会。もっとゆっくり過ごしたらいかが‥。
元旦、テレビも正月なのか特段面白い番組はやってはいない。夕方から女性タレントが多数出演するひな壇型の番組をやっていた。始まりのテーマは「お国自慢」的な話題であり、各地方都市出身の女性タレントさんが自分の
故郷を力いっぱい推していた。よく見かけるタイプの番組であり、各地域の
独特の情報を知ることもできるから嫌いではない。
その番組の中で福岡出身の女性タレントが「ひよこもうどんも発祥は福岡だし、たくさん発祥を持っているので都市ランクの東京・大阪・福岡の3位の座は譲ってもいい」というようなことを言っていた。
人口やその都市の経済力などを別にして、話題性や食べ物に関するトピックが多いという点でそう言ったのだろう。たくさんの個性的な芸能人の出身地でもある福岡は情報発信量が多く、テレビ的にはおいしいのだろう。
私が引っかかったのは、「ひよこ」や「うどん」の発祥の過程が語られないことである。AとBは〇〇県の発祥、Cさんも〇〇県の出身、Dの工場があるのも〇〇県、まあ見ている分には小学生の言い合いのようで面白いのであるが、少しはその周辺の情報も正しく流していただきたいと思う。
例えば「うどん」であるが、福岡市博多区に”承天痔寺”というお寺があり開祖の聖一国師が宋の時代に中国に渡り、帰国した1215年に「饂飩」の製法を伝えたという石碑が設置されている。これをして、福岡「うどん」発祥説が語られているのであるが、空海が香川に中国から帰国した際に「うどん」の製法を伝えたとする説もある、しかし聖一国師は「うどん」の製法を伝授した際に麺を製造する製麺機的な機械の作り方も同時に伝えており、民衆に小麦を使った麺の製法を伝えたという点で福岡が発祥と言えるのかもしれない。
また、最近スカイラークが買収し関東エリアでの展開を図っている北九州の「うどん」資さんうどんが話題になっている。同うどんは1976年に北九州市戸畑に大西章資さんが創業した”北九州”産のうどん屋である。私の周辺では博多うどん的な話題となっていたが、北九州をベースとするうどんであり
博多うどんは「牧のうどん」「大福うどん」などがそれである。資さんでは
ごぼう天うどんが人気である点は、博多と変わりないが麺の食感に関しては
異なる。特にサイドメニューで提供される”ぼたもち”は北九州ならではの品なので味わってもらいたい、まあ拘らなくてもいいだろう、と言われればそこまでであるが「違い」を主張したがるのがロコのロコたる所以だと思う。
特に声を大にして言いたいのが銘菓「ひよこ」である。ひよこは東京銘菓であるとする説は間違ってはいない。「ひよこ」は福岡県の筑豊飯塚市の吉野堂が大正元年(1912年)に発売した焼き菓子である。創業者の石坂茂氏が夢の中で見た「ひよこ」の形をモデルに商品化したと言われる。飯塚は炭鉱の街であり、炭鉱に入れば生きて帰れるかわからないという危険な採炭作業に従事する作業員が多かったため、「宵越しの金は持たない」気風があり、他家への”お使い物(贈りもの)”として焼菓子が使われ、「ひよこ」はそうした焼菓子文化の中で誕生した。その後、1976年に吉野堂が福岡市天神に出店、来福の客へ「おみあげ」として販売、博多を代表する銘菓に成長していく。
では、博多銘菓ではないかと言われるかもしれないが、吉野堂が東京八重洲に出店するのは昭和41年。この出店を前に工場は埼玉県草加市に作られていたのであるが、湿度の高い福岡に比較して湿度が低く乾燥する関東では同じ製法で作ることが難しく店頭発売までは苦労されたようである。そういった面では関東に合った「ひよこ」を作ったという観点からは東京銘菓でも良いのではないかと思う。
最後にサザエさんの長谷川真知子さんは佐賀の生まれで幼少の頃を福岡市西区で過ごし東京に転居した。第二次世界大戦の頃、疎開で再び西区に戻り、「サザエさん」は終戦後すぐに福岡の地元紙「夕刊フク二チ」に掲載
された。このことから長谷川さんは福岡の出身だと言う人が多いようで
あるが、正確には佐賀が出身地ではなかろうか。
正月を故郷で過ごす方は多かろうと思う。炬燵に入ってテレビに出て来る
我が故郷の自慢を見るのは悪くない。少々、その内容が異なるものであっても大きな問題ではない。今年も仕事に戻ったら「ああ、それはうちの故郷の
○○」と言ってやってください。みんなで大いにお国自慢で盛り上がると良い。
『今年もよろしくお願いいたします。』