資さんうどんがやって来る。資さんうどんは「博多」うどんじゃないですよ。
私のまわりでは「資さんうどん」が話題になっている。福岡に出張した人間が「博多のうどんはうまい」と”資さんうどん”を博多うどんとして褒めたことが原因である。私は資さんうどんは北九州のうどんであり、博多うどんではないことを説明したが、誰も聞いてくれなかった。
まず、資さんうどんであるが同うどん店は1976年に北九州は戸畑にオープン。うどんのスタイルは通常のうどん(水で締める)スタイルであった。人気メニューは”肉ごぼてんうどん”、特記されるのはサイドメニューとして提供された「ぼたもち」。北九州の屋台では酒を提供することが禁じられているため、「ぼたもち」を出している。この北九州文化がメニューに反映されている。
名前の由来は、創業者の大西章資さんが入院した際に「アキスケ」さんと呼ばれたのを、大西さんが親しみやすいと店舗名にしたと言われている。
2015年に大西さんが亡くなると経営は投資ファンドに移り、昨年にはすかいらーくグループの傘下に入った。このため、今年から関東地区においても資さんうどんが出店することになった。
関東圏の皆さんは「博多」と「北九州」を同じエリアのようにとらえているが、両地区ではいろいろと異なる点がある。北九州は石炭の積出港であり鉄鋼の街であった、工業の町である。これに対し博多は商人の街であり、商業の町である。
昭和期の北九州市は石炭の積出港や鉄鋼製造の拠点として工業都市として栄えた。これに対し博多は博多商人による商業都市として発展を遂げる。ひと昔までは、大手新聞社の九州総支局は北九州に置かれており、行政的にも
北九州が重要な位置づけだった。こうしたことから考えても、博多の食文化がそのまま北九州に伝播したとは考えにくい。
博多のうどんは「やわらかい」。というのも食べる時間がもったいないのでなるべく早く提供するように工夫され、水で締める作業を省いたとされる。このため、出汁を吸って伸びるため「いくら食べてもなくならない魔法のうどん」と呼ばれた。有名なのが「牧のうどん」である。糸島郡前原町の”牧”にあったため「牧の」うどんと呼ばれる。開店は1976年で資さんうどんの開店年と同じである。福岡のうどんを私的に語るなら、北九州の資さんうどん、福岡の牧のうどんと紹介したい。
福岡のうどんは以前に紹介したが、博多区承天寺の聖一国師が渡宋から1241年に帰国した際に饂飩の製麺技術を持ち帰ったのが起源であり、老舗うどん店には1882年開店の「かろのうどん」(※亡くなった小松政夫さんの生家/「孤独のグルメ」でも紹介)や「英ちゃんうどん」「みやけうどん」「木屋」などがある。いづれの店舗も博多うどん(柔らかい麺)である。
福岡のうどんチェーンは「牧のうどん」「ウエスト」「資さんうどん」などが大手であるが、いづれも発祥は異なり、独自の成長を遂げてきた。牧のうどんは糸島が発祥であり、福岡市でも西地区での店舗展開が多かった。
ウエストは宗像郡の福間、会社名はウエストであるが福岡市では東部地区からの展開だった。そして北九州戸畑の資さんうどん。とんこつラーメンとは違い、発祥地が明確であり展開の仕方、うどんの味、副菜、どれも独自性があってわかりやすい。ウエストは最近ではアメリカに進出しているらしい。
というわけで、資さんうどんが北九州の独自のうどんであることは理解いただけたと思う。今後は業態転換と新規出店で店舗が増えていく。東京都下であれば2025年2月24日に両国で新店がオープンする。心配するのは、関東地区に出店することにより、多くの人に受け入れられるように"味が変わる”ことである、かつて渋谷に出店した「唐そば」は北九州市黒崎のラーメンの名店であった。息子さんの代で渋谷に出店となったが、その味は北九州時代と同じではなかった。確かに、地域によって味を変えていくのはありかも知れない。しかし、オリジナルを捨てて、ニーズに迎合するようでは名前が泣く。
今は亡き大西章資さんはどう思っているだろうか。「全国に資さんうどんが広がっていくのはうれしい」しかし、大西章資の生み出した「北九州のうどん」は守ってほしい。そう思っているのではないだろうか。
2月24日、両国の新店に長い列ができることを願う。