見出し画像

写真を言語化すること

言葉とは概念

わたしが以前、哲学について調べているときに、言葉とは概念である、という記事を見つけました。

例えば、人権や正義という言葉がありますね。現在では、人権は守らなければいけないという考えが社会に広く共有されています。では、人権という言葉が昔からあったかというと、そうではありません。誰かが思いついて、言葉を与えて、様々な内実を与えて、なぜ守らなければいけないかという理屈を考えてきた。要するに、これは自然物ではなく、あくまで人間がつくってきた一定の「ものの考え方」で、言い換えると「概念」なんです。

僕たちは、社会生活を営む際に、いろいろな概念を共有することで、社会の仕組みをつくっています。このように、社会活動に組み込まれている概念をつくり、伝え、新しい意味を与え、現代に適したかたちに組み替えていく……。これが哲学のひとつの役割だと思います。そのことで、社会を支え、よりよいものに変革していくのです。

言葉を放つということは、一定のものの考え方を所持している、ということを共有することなんだと、深く共感しました。

こんな風に考えなくても素晴らしい人生は送ることはできますが、何かを作り、世の中に発信していく人にとっては非常に重要な概念だと考えています。もちろん、noteユーザーもですね。

ライオンという言葉を発明した人の話

最近、2021年時代のコピーライトに関する文献を探しているときに遭遇した本、阿部 広太郎氏による「コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術」という本、
言葉についての自伝で、面白いと感じました。

その中で、私が常日頃考えている”言葉”、についての素晴らしい記事があったので紹介させていただきます。
世界で最も偉大な発明をした人って、ライオンという言葉を発明した人、の話です。

 「ライオンという言葉を発明した人だと開高さんは言ってるんです」 
 想像もしていなかった答えに面食らった。 
そして、伺った話に僕は心地よい衝撃を受けた。 
 開高さんの講演録「経験・言葉・虚構/地球を歩く」(新潮社)から、そのエピソードを紹介する。

 強力な脚を持ち、鋭い爪を持ち、 
 ものすごい牙を持っている、混沌とした恐怖の塊り。
 速くて、痛くて、鋭い、恐ろしい混沌の塊りなんですね。 
 ライオンじゃなかったわけです。 
 ところが一度これに「ライオン」という言葉をつくって
当てはめてしまいますと、
 ライオンはどうなるかというと、
 人間の意識の中で変わってしまう。
 やっぱり依然として、鋭くて、速くて、
 恐ろしい牙を持っているけれども、 
 ただの四つ足の獣に変わってしまうわけですね。 
 ここで克服できたわけです。 

 この話を何度読み返しただろうか。読むたびに脳のシナプスが興奮する感覚を抱く。この話を受けて自分なりに、人間と言葉の関係を表した。

  言葉→概念→行動

 開高さんの話を僕なりに解釈する。 
 ある日突然、仲間が血を流して倒れている。 
 おそらく、の話だ。その混沌とした恐怖の塊りに対して、あのヤバいやつ、とか、あの化け物みたいな、とか。何かしらの言葉では言われていたのだと思う。 
 ただ、そこに誰かが「ライオン」と名付ける。混沌とした感情に名前がつくことで、人の頭の中に概念が生まれる。あれは、ライオンというただの四つ足の獣なのだと。
 獣だとしたらどう「行動」すればいいのか? 

 混沌の塊り→ライオン→闘える 

 ライオンを見つけてしまったら、手の届く距離にある大きな石を持つ、もしくは棍棒を握ったら、ぎりぎり闘えるかもしれない。 

 混沌の塊り→ライオン→逃げる

「ライオンだ!」と誰かの叫び声を聞いたら全速力で逃げ出す。
そうすれば、命は落とさずに済むかもしれない。
 もしもそこに「ライオン」という概念がなければ、依然として混沌とした塊りのままだ。右往左往してしまい、どう行動して良いのかわからない。行動という出口が見えたことで、恐ろしさを克服できたと僕は思うのだ。

まさに、その通りだなと、考えていることを、このような素晴らしい思考で表現している文章に感動しました。

自分が挑戦していることで、何か対象物に対して考えるとき、アクションを起こし変化をするとき、言葉で表現された概念がなければ、向き合えないわけです。

これらを踏まえて、私が運営している手帳に、写真や動画、そして言葉を”記録する”ことについての考え方の事例をご紹介します。

点 = イメージ x 言葉
コレクション = 点 ∈ 言葉

ある出来事を簡潔な言葉(ハッシュタグ、関係性など)として記録した場合、意識的な言語化でありパターンとして記憶されます。
パターン化することで、対象物に対して話かけ、より深く捉え、考えることができるようになります。

ある出来事を写真・動画などのイメージとして記録した場合、脳はパターンではなく(客観視される)像として記憶され、新しい想像、発見の種となります。

自分にとって当り前のことでも、例えば、もらったギフトを写真に撮ってあえて記録することで、客観的にその事実を捉えることになり、感謝などの新しい視点を呼び起こしたりします。

このように、生活の中の出来事、活動の過程、プロセスをイメージで記録することは、自分の裸眼の視点では見えなかった新しい視点やゾーンを発見する機会が増えます。

イメージと言語化は既知の点を可視化し、点と点が繋がるひらめきを最大限にサポートします。

また点の数を可視化することで増加を促し、価値観の変化や重要度を認識することができます。

アイデアとは既知の組み合わせであり、縦横無尽な検索が無限のひらめきに役に立ちます。 それらは、人との関係、モノ、夢、恋、愛、衣食住、へのパワフルな道具となります。

追伸:気づいたことについて「考える」ためには、書いて考えることが大切です。 紙やデジタルツールを使って、文字、図、絵を書いて考えてください。

イメージに言葉をつけると、記憶の点になり、
点を繋げると、記憶のコレクションになり、
そこに何かのルールを発見する手掛かりになるはずです。
思いがけず、愛が見つかるかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?