見出し画像

義母の生霊と闘う話 番外編

2024年2月某日。
安井金比羅宮で生霊との縁切りを願って間もないころの話。

在宅で仕事をしている私は、その日も子どもたちを保育園へ送ってからひとりで道を歩いていた。
信号を待っていると私が先程抜けてきた細い路地に入りたいらしい白い車がウインカーを出した。
運転手であるおばあちゃんはゆっくりと、しかしかなり鋭角に曲がってこようとしている。

「いや、その角度はさすがに入らんやろ」

見ていた人たちの心の声が聞こえそうな光景。
思った通り地面から生えたポールに見事にこすった。
その場にいた全員の「やっぱりね」という心の声の大合唱を勝手に感じていた矢先、すごい勢いで車がバックし、再度急発進!
先程こすった目の前のポールに今度はしっかり衝突した。
よくニュースで見るアクセルとブレーキがわからなくなって前に後ろにぶつかりながら被害を広げてしまう自動車事故が直ぐ目の前で繰り広げられている。

バキン!ともメキッ!ともパーン!ともつかない、聞いたことのない破裂音が響いた。
おそらくポールを支えている基礎の部分が、割れた。
周囲の人達が一斉に振り返りどよめく。
人はいざ目の前で自動車が暴走すると微塵も動けないものなのだと、私はそのとき初めて知った。

派手にポールに衝突したおばあちゃんカーはバンパーをへしゃげさせながら、結局路地には入らずくるりと身を翻して走り去っていった。
普通に当て逃げだったし走り去った方向も明らかに逆走だったが、自分の命が助かった奇跡に心臓がバクバクしており、ナンバーを押さえるとか気の利いたことは一切できなかった。

安井金比羅宮に行くとインスタで宣言した直後、私を心配してくれた方から送られてきたメッセージを思い出していた。

『縁を切るにはそれなりのみかえりが必要』

これが”みかえり“なのだろうか。
私が消えることが、生霊との縁切りの近道ということなのか。
確かに安井金比羅宮参拝の体験談を見れば、自分や相手が事故に遭う話はいくらでも出てくる。
しかし…いざ本当にくらうと言葉も出ない。
あのポールがなかったら、私は確実に無事では済まなかっただろう。

私の命を守ってくれたポール。見て分かる通りポールはなぜかこの一本しか立っていない。割れた根元は補強されていた

そんな大変なことがあったにも関わらず。
驚くべきことに、なんと私はその一切の記憶をしばらくの間忘れてしまっていたのだ。
強い恐怖を感じると記憶をなくすことがあると見聞きしたことはあったが、自分が体験すると本当にビックリする。
こんなにもインパクトのある出来事をすっかり忘れてしまうなんて。

しかし、今この出来事を書いているということは。
思い出したのだ。

ある一本の電話によって…。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?