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もやもやの正体が少しわかった気がする

朝起きて、テレビをつける。まだ覚醒されていない脳に、アナウンサーの声がするすると入ってきて、気づく。
「あー、今日は1月17日かぁー」

今日一日は胸の中にずっと、煙のような、捉えどころのない、もやもやっとしたものを抱えながら過ごすんだろう。しょうがない。

もやもやっとしたものは、何十年経っても、もやもやしたままで。いまだ手につかめない。いつかこの手ですくうことはできるのだろうか。言葉に変換することはできるのだろうか。


こういうときこそ、普段通りに過ごそうと決めている。
午前中、ひととおりの家事を済ませて、こたつの中でまどろむ私。無職を満喫しすぎている。やばい。この先、社会復帰できるんやろか。

このままだと、一日中こたつの奴隷になってしまいそうなので、重い腰を上げて、病院へ。先日頼んでおいた紹介状ができあがっているとのことで、取りに行ってきた。

実は、乳腺に良性の腫瘍があって、定期的に診てもらっているのだ。こちらの先生は、いままでお世話になった乳腺外科の医師の中でも、いちばん丁寧だった。「え?どこか気になるとこあります?」と心配になるくらい、毎回時間をかけて、じっくり診てくれた。

引っ越したら、また病院探しから始めないといけないなぁ。以前住んでいた場所の近くに住めたらいいのだけど。当時通っていた乳腺外科の先生も優しい先生だったんよなー。でも、そのあたりはもともとの家賃相場が高いうえに、5年前よりさらに高騰していて空き物件も少ない。なかなか思うようにいかない。

「お世話になりました」と扉を開けて出ていくとき、なんともいえない寂しさがこみ上げてきた。この寂しさを、引っ越しまでにあと何回感じなきゃいけないんだろう。ふぅー。


「こんなときこそ、おいしいものを食べよう!」
病院を出たあと、お気に入りのカフェに向かった。

着いたときには満席で、しばらく待ったあと、いつもの窓際のカウンター席に案内してもらえた。外が見えて、明るいから、好き。

サンふじ林檎とキャラメルのパフェ

今日から、新たな期間限定のパフェが発売されてた。ラッキー。私はここのお店のパフェの大ファンなのだ。1〜2ヶ月ごとに限定の新作パフェが登場するのだが、昨年はそのすべてを制覇した。今年も香川を離れさえしなければ、間違いなく全部食べに行っていたと思う。

今回のパフェもめちゃうま。グラスの中に9種類のお菓子がつまってる。どれもこれもおいしいのだけど、ビターな甘さに仕上げられたキャラメルアイスが特に最高だった!あぁー、引っ越しまでに、あと何回お店に来れるんだろうか?

・・・いかん。先ほどの寂しさが舞い戻ってきた。目の前のパフェに集中しなければ!

パフェの前にパスタも。
絶品アマトリチャーナ。



パスタを食べて、パフェを食べて。おなかも心も満たされて、食後のコーヒーを飲みながら、窓の外を眺めていたら、唐突に29年前のことが頭に浮かんできた。

29年前の今頃、私は近所でひとり暮らしをしていた祖母の家にいたのだった。電話をかけ続けたが、一向につながらなかったため、様子を見にきたのだ。
(当時はまだネットも普及しておらず、当然携帯電話もなかったため、電話回線がパンクした。県外の親戚と連絡がついたのは、地震の2日後だった)

近所といっても、歩くと50分はかかる道のりを、走って走って歩いて、また走って走って歩いて、必死な思いでやってきた。私の記憶では、その道中は無音だった。不思議なほど、人の気配を感じなかった。隆起する道路やひび割れたマンションを時折見つけては、不気味な怖さを感じた。これが自然の脅威なのか。

けれど、そんなものは序の口だった。私が住んでいた地域は、幸いにも被害がとても少ないところだったのだ。

ということを、のちに知ることになる。そう、ちょうど今くらいの時間、祖母の家の電気が復旧した。テレビに映し出された映像は、神戸であり、神戸でなかった。

高速道路が倒れている。駅舎がつぶれている。つい先日行ったばかりの代々木ゼミナールに隣接するビルが倒れている。私が通っている学校の近くが火で覆われている。

・・・あかんあかん。いろいろと思い出していたら、涙が出てきた。慌てて記憶をシャットアウトする。急いで現実に戻るため、最後のコーヒーを一気に飲み干して、席を立った。



あれから29年後の私は、ぬくぬくとしたお店の中で冷たいパフェを食べている。もし、あの頃の私と話すことができたら、怒られるだろうか。「さすがにパフェはないやろ?」と。「地震の後、あたたかな食べ物を口にするまで、何日かかったと思ってんねん?口に入れた瞬間の喜びとありがたみを、今日くらいは思い出せ!」と。

でも、裏を返せば、ぬくぬくとしたお店で冷たいパフェを食べられるというのは、当たり前の日常であり、幸せな証拠ともいえる。


日本や世界のどこかで災害が起こったり、戦争が起こったりしても、私たちは変わらず、自分たちの生活をすればいいし、するべきだとも思う。

けれど、あのとき、私はほんの少しだけうらやましかった。普通の生活をしている人たちが。誰が悪いわけでもない。こちらが食べることさえ必死なときに、誰かがパフェを食べていたって、その人は何も悪くない。でも、ほんの少し。ほんの少し、私はうらやましかったのだ。そして、それは誰にも言えない感情だった。

これが捉えどころのないもやもやの正体なんだろうか?普通の生活をしている私を、当時の私が見ている。だとすると、このもやもやは一生消えないんだろうな。



失われた尊い命に鎮魂の祈りを。


明日も私はいつも通りに暮らします。
もやもやと共に。

最後になりましたが、今もなお、大変な状況にある方々が一日も早く落ち着かれますように。

ではでは、また。




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テシマ ユリコ
最後までお読みいただき、ありがとうございます! いただいたサポートでコメダ珈琲へ行き、執筆をがんばります! (なぜか、コメダってめちゃくちゃ集中できる)