当たり前すぎて、自分では気づけない宝物。
祖父母のお墓参りに行ってきました。
お盆、お彼岸、お正月などはあまり気にせず、いつも気が向いたときにふらっと行っちゃいます。
お墓参りというよりは、本当におじいちゃんおばあちゃんに会いに行くような感じで。「きたよー」って。
最近、うちの息子が「死んだ人と話をすることができるか」に興味を持っていて、よくそんな話をしてくるので、私もお墓に向かって、いつもより長めに手を合わせてみました。
ま、当然、話はできなかったんですが(笑)
拝んでいる途中、すべての音が、一瞬すぅーっと吸い込まれたかのような静寂があって。
お墓参りが終わったあとも、いつも以上にすっきりとした感覚があったので、手を合わせることで、心が落ち着くのかも?なんて思ったりしました。
お墓参りのあとで、よく立ち寄るカフェ。
目の前に瀬戸内の美しい景色が広がって、本当に癒される。
気候がおだやかなときには、テラス席に座って、波の音と、絵画のような海を味わいながら、のんびりさせてもらうんだけど、さすがに冬は寒いからねー。
でも、窓越しに見える風景も、それはそれで良きかな。
お墓参りに来るたびに、こんなに美しい場所で生まれ育ったなんて、本当に贅沢なことだなーって、しみじみ思うんよね。
だけど、ごらんのとおり、自然以外はなーーんもないところだから。ずっと住むには、やっぱり不便な場所ではあるよね。
だから、ふるさと自慢?っていうのかな。そういう話を一度も聞いたことがなくて。
「なんにもない、ただの田舎」って言ってたから、そのつもりで来たら、あまりにも美しい景観が広がってて、ビックリした。
祖父母にとっては普通のことだったから、その良さに気づいてなかったんだろね。ないものねだりというか、隣の芝生が青く見えたりもするしね。
いま、すでにあるものに目を向けてみたら、意外な宝物が見つかるかも。そういうのん、大事かもね。
ではでは、またー!