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小学校の時の作文の思い出:洪水が起きて避難したこと

ゆっくりしていってね!

たまにはこういうのもいいかしら? ちょっとしたエッセイを書いてみようと思うのだわ。


題して、「小学校の時の作文の思い出」!

ただ、いつもと毛色がかなり違う記事だから、ありがたくも「手嶋海嶺」をフォローしてくださっている方々の需要に合うかは微妙なところ。ちょっとそのへんこの記事のスキ数なんかで教えてほしいのだわ。

さて。

小学校3~4年生の頃、おうちの近くの川が氾濫して、ちょっとした洪水になったのよ。家族と一緒にとある学校の体育館に避難。そのまま一夜を明かして、翌日にはだいたい収まったから帰ることはできたのだわ。

その時ちょうど自由作文課題があって、幼い手嶋さんはこの洪水ネタを使うことにしたわ。

数日すると、それを読んだ担任の先生が「君の作文をコンクールに出したい!」と仰ってくださったのよ。私も「ゆっくりりりかいしたのだわ!」と気持ちよくお返事をしたわ。断る理由もべつになかったしね。

作文本体は残念ながら手元に残ってないけれど、覚えている部分はこんな感じ。(なるべく文体も再現したけど、年齢的にここまで整ってはいなかったと思う。)

 洪水が起きて家族で避難しました。お父さんに車に乗せられて、最初はスーパーの駐車場に行きました。

 ぼくは車のうしろの席で、すごく不安でした。ぼくが一番心配していたのは、ずっと進めていたゲームのセーブデータのことです。すごくがんばってレベル上げをしていたし、レアアイテムも手に入れていたから、そのセーブデータが消えたら悲しいです。

 どうか何ともありませんようにと、車にいる間も、そのあとの体育館でも、ずっと祈っていました。

 次の日に家に帰ることができて、すぐにセーブデータを確認しました。何ともなくて、ほっとしました。こんなことは二度と起きてほしくないです。


いやあリアル! 心に迫るのだわ! 男子小学生の真情が、シンプルな表現であるがゆえに、より切々と伝わってくるわね! エッセイはかくあるべしよ。

少し背景情報を追加しておきましょう。

当時の私は初めてのRPGとしてドラクエ5をプレイしていたのよ。時代的にスーパーファミコンね。

いまの若い人には伝わりにくいかもしれないけど、まー、カセットのセーブデータってたまに消えるのよ。しかもドラクエシリーズはなぜかセーブデータが消えた時の専用演出まで用意しててね。

これはYouTubeさんに動画があったから、実際に見ていただきましょう。


小学生だった時の私は、エニックス社が子供への嫌がらせのために作った演出をくらって発狂し、さんざん泣きわめいたあげく寝込んだわ。

セーブデータが消える。こんなにも悲しいことは生まれて初めて(※8~9歳くらいの言う「生まれて初めて」)だったから、洪水で避難している最中、もう本当に何よりもこれの再発を心配していたのよ。

――で、これが「添削」されたってことなんだけども。


職員室に呼び出されて、「よく書けてると思うけども、直した方がいい部分がある。赤ペンで添削したから、それで再提出してほしい。」と赤ペンが入った原稿用紙を手渡されたわ。

こう書き直されたわ。

 洪水が起きて家族で避難しました。お父さんに車に乗せられて、最初はスーパーの駐車場に行きました。

 ぼくは車のうしろの席で、すごく不安でした。ぼくが一番不安で心配していたのは、自分と家族のいのちのことです。どうか無事で帰れますようにと、車にいる間も、体育館でも、ずっと祈っていました。

 次の日に家に帰ることができて。ほっとしました。学校がまた始まると、友達もみんな無事で本当によかったと思いました。こんなことは二度と起きてほしくないです。


おいィィイ!!? まるっきり「ウソ」じゃねーか!!!!
「添削」ってそういうことじゃねえだろ!! 内容まで改変してんじゃねえわよ!!

「いのち」ってなぜか平仮名で書かれてたことまで鮮明に憶えているのだわ! 当時でも書けたわよ「命」くらい!

そもそもべつに命が脅かされるほどの水害じゃなかったし、なんなら当時の私はしょせん水なんだから最悪でも泳げばいいじゃんとしか思ってなかったわ。プールとか好きだったからね。

……まあ、それ自体は水害に対するクソ間違った認識なんだけども、そのへんもリアルな小学生らしいじゃない。「らしい」っていうか、本物だからそうなんだけど。

とはえい「添削」された作文はコンクールで賞を受賞。なんか賞状をもらったわ。

教室で賞状をもらった時、幼い手嶋さんはすごくバカバカしい気分になると同時に、ちょっと苦手意識があった作文が以後、得意中の得意になったわ。


だって、「作文のルール」が分かってしまったもの。私はそれまで読書感想文でも自由作文でも、さんざん頭をひねって「何をどう書けばいいか?」と書いては消して、消しては書いていたわ。作文は大変な宿題だったのよ。

でも、どっかで聞いたことのある「子供が言うと、大人が喜びそうな常套句」をテキトーに並べればいいと分かった。それなら簡単なのだわ。

たとえば『走れメロス』の読書感想文なら、「人のために必死に走るメロスに感動しました。僕も自分のためではなく人のために必死になれる人になりたいです。」みたいなことを書けばいいんでしょ? こういう3秒で思いつくことを10個くらい並べたら宿題おわり。漢字の書き写しと大して手間も変わらないわね。

国語で作文の宿題を出されたら、それまでは持ち帰って頑張って書いていたのだけども、ルールを学習した私は、10分の休み時間に400字原稿用紙1枚なら埋められるようになったわ。

このルールを学習する前の作文は、たとえ表現が拙劣で考えが浅くても、それはそれでゆっくりした素敵な内容だったんでしょうけど、以後の私が学校に提出した作文はすべてゴミカスよ。書いた私が言うのだから間違いないわ。

もし私が当時の私に作文指導するなら、「セーブデータへの心配」は残したまま、次のように言うでしょう。きっとよくなるわ。

ちょっと他人みたいに指導するわね。

まず、最初の作文では、「どうしてそのセーブデータがそんなにも大事なのか?」が読者さんにあんまり伝わらないわ。もちろん、「レベル上げ・レアアイテムの入手」という一応の説明はあるから、時間の蓄積が失われるのが嫌だってのは分かるけどね。

……でも、それだけだったら、あなたの感想は「セーブデータが消えたら、戻す作業が面倒くさいなあ。」くらいではなくて? 面倒くささだけで必死になって祈っていたのかしら? 少し不自然よね。

実際そうかもしれないし、それだったらこのままでいいのよ。でも、「面倒くさい」という言葉で表すと、ちょっと自分でもしっくりこないと思うわ。

つまり、現段階では、まだ自分の感情を適切に表現できていない部分がある。読者さんに伝えられていない、大事な背景や理由がある。そこを言葉にするのが「作文」よ。

――といっても、当時の私に直接書き直してもらうのは不可能だから、いまの私が答えましょう。

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